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おとなりの研究者
広島大学
大学院教育学研究科 国語文化教育学講座 大学院教育学研究科 国語文化教育学講座
教授,研究員

旧所属 天理大学 文学部 国文学国語学科
助教授

白百合女子大学
文学部国語国文学科
教授

file01:中世とは何だろうか?

新井:そもそも中世とはどんな時代なんでしょうか? 故:阿部謹也先生(ドイツ中世史)は、13、14世紀に貨幣による交換が表舞台に登場したことが、中世ドイツの転換点になったとおっしゃっていましたが、日本ではどのような変化があったのでしょう?

田中:そもそもなぜ中世と呼ばれるのかというと、真ん中の時代だからです。幻想としてある程度理想化された古代というものがあって、私たちが生きている現代がある。中世という時代は、その間をとりあえず呼んでしまおうというものなんじゃないか。だから中世の幅が西洋、中国、日本でそれぞれ違っているんだと思うんです。故・網野善彦先生(日本中世史)が言われたように、日本では14世紀で、時代的にもちょうど転換期にあたります。日本でも貨幣が登場して、モノ対モノではなくてその間に経済という幻想が関わってくる、そういう時代ですね。

文学においては、それまでは天皇が文化的な事業として取り組んでいた古今和歌集などの勅撰集が中心ですが、中世はそれ以外に、もっと一般的な人々が読むような、御伽草子や説話などがどっと増えてきます。

つまり真ん中というのは、とてもわかりにくくて混沌としているから、枠をつけて考えていこうということだと思うんです。このような枠は近代や現代にもたくさんあって、私たちが一番よく知っている中世というのは、いわば最大公約数的なイメージなんですね。

また中世のこの一見わかりにくい、分析を拒んでいるようなところが、私が一番ひかれるところでもあるんです。中世にお坊さんが書いた『渓嵐拾葉集』という作品でも、何かを採り上げて解釈を始めるのですが、その話題がどんどんずれていく。このずれ加減がとってもおもしろくて、このようなところが中世の論理のひとつになっています。

TEXT : Takako Tanaka, Noriko Arai, Rue Ikeya  DATE : 2010/07/21