file01:老博士の口癖

言葉は常に変化しています。しかし変化の速度は、言語の階層によって違いがあります。一番速いのは単語で、もう本当に急激に変わっていきます。次に、文法的な事柄になると、だいぶスピードが落ちて何十年という歳月をかけて変わっていく。さらに音韻体系となると、かなりがっちりした構造をしていてなかなか変わりません。それでもたとえば、外来音が入ってきたりして変化することがあります。たとえばお年寄りの中には「Lady」を「レデー」と発音する人がいるし、「Film」の「フィ」の音が日本語にはなかったので「フィルム」と言わずに「フイルム」と発音する人がいたりする。このような例は、変わりつつあるものと考えられるわけです。

最近私が興味をもっているのが、動詞に「です」を付けたり、形容詞に「です」を付けたりする例。

身の危険を感じるです
問題があったと思うです
5時でもまだまだ明るいです
真っ白で新しいです
KOTONOHA「現代日本語書き言葉均等コーパス」より)

書き言葉では基本的に、形容詞に「です」が付いて文が終わることはありません。けれども動詞ほどは違和感がない。特に悲しいとかうれしいとか、自分の感情を表すような形容詞に「です」を付けると─たとえば「私、つらいです。」のように─比較的自然なんですね。

こういう例がコーパスを使うとたくさん出てきます。特にインターネット上で書き込みをする掲示板のような文章の中に、非常に多い。なぜ「です」を付けるかというと、おそらくある種の待遇表現なんですね。ネット上だから相手の顔は見えないけれども、やはり特定の人のイメージに向かって話しかけるという意味では、かなり対話モードに近いのではないかと考えられます。相手の気持ちに対してあらかじめ配慮し、「です」を付けて丁寧化している。どの言語でも相手への配慮を発話の上に表すという戦略はありますが、日本語は特に敬語のシステムとして目に見えやすいものになっています。そのため、名詞や形容動詞と同じように、形容詞にも「です」を付けて丁寧化しようとしているのではないでしょうか。

この「です」がいつ頃から始まったのかはわかりません。また、待遇表現とは関係のない用法もあるようです。村上春樹の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』を読むと、「ハードボイルド・ワンダーランド」に登場する老博士の台詞に、動詞+「です」がたくさん出てきます。これは最近、国語学の世界で「役割語」と呼ばれているもので、国籍不明の怪しげな雰囲気をかもしだすためのテクニックとして形容詞+「です」が使われています。また、動詞+「です」を許容する方言も九州などにあるようですが、詳しくはこれから調べる必要があります。

TEXT : Kikuo Maekawa, Rue Ikeya  DATE : 2011/02/04