file 02:「藤壺の女御」はあり得ない

源氏物語は本当に多くの人に読まれているし、研究者もたくさんいるんですが、たとえば若紫の巻に、藤壺の女御と呼ばれている登場人物が出てきますが、この藤壺という女性が「女御」であることはあり得ません。そんなの嘘なのですが、依然として本やムックなどで、そのように紹介されるということがあります。

若紫にしても、18歳の光源氏が10歳の美少女を見つけてきて育てたといった読み方がされるわけですが、これは作品の中に、光源氏のせりふとして、目の前に飛び込んできた若紫を「10歳ぐらいだな」とあるからなんですね。しかしそれはあくまで主人公のせりふでしかないので、主人公の「10歳ではないか」という表現には、同時に「(本当は)10歳ではない」という読みも成り立つ。これが1980年代を一世風靡したテクスト論の恩恵で、源氏物語にとってテクスト論というのは、大革命なはずなんです。

むしろ主人公が推測しているのだから、読者としては逆に疑ってみてもよいわけですね。実はほんの数ページ後に、お母さんが亡くなって10何年経つと書いてあります。だから彼女が10歳のわけがない。作者はそこではちょっと思わせてみせて、読者を引き込んでいるんですね。若紫はおそらく12、3歳だろうと私は推測するのですが、ただ今度は当時その年齢で「美少女」に入れていいかどうか、微妙なところです。

同様に「藤壺の女御」というのも一千年間「女御」と言われ続けてきたけれども、藤壺は皇族出身の女性であるため、彼女が「女御」であることはあり得ないんです。歴史的な事実としてもそうですし、作品を読み進めて行っても、その記述を見れば、女御として書かれているわけがない。やはりテクスト論を入れた新しい読みへ、変わっていくべきだろうと思います。