file 02:自分はどう生きていけばいい?

よく僕の文章はとても分かりやすいと言われるんですが、多分、僕の学力がそんなに高くないのがうまく作用しているんだと思います。僕は理解にものすごい時間がかかる。だから理解出来ない段階のことをよく覚えているんです。たとえば、難しい哲学の本を読んだ時、どこがどう分からなくて、どのあたりで間違った解釈をしてしまうかがわりと想像できる。あと、僕は意外としぶとい人間なので、理解しようと思ったら10年でも続けるんですよ(笑)。事実、『スピノザの方法』『暇と退屈の倫理学』も10年ぐらいかけて結論に到達している。だから、どうやると分からない段階から分かる段階に移行できるかというのも、わりと想像できる。それだけ長くやってれば覚えてますよね。

とはいえ、どれだけ長く時間をかけていても最終的に得る結論というのは直観によって得られるものです。しばしば誤解されていますが、直観するには時間がかかるんです。長い準備を経た後でしか直観に出会うことはできません。そしてどれぐらいの準備が必要かは人によって異なる。間違いを重ねながら、うーんと頭を悩ませながら、ある地点で「ああこういうことか!」という自分の感覚を得る。そういうことが、何よりも大切だと思っていますね。

じゃあ、そうやって考えることの出発点はどこかというと、僕らが日常的になんとなく得る違和感ですね。「なんかおかしいな」「なんかイヤだな」という感覚。ドゥルーズは「何かに不法侵入を受けた時に人はものを考える」と言ってますが、まさしくそうだと思います。そしてそういう「不法侵入」はあちこちでいつも起こっている。ところが人はそれを押しつぶしてしまうのです。「これでいいんだ…何か変な感じがするがこれでいいんだ…」という感じで自分にをついて感覚を絞め殺す。これが何よりもいけないことなんです。

なぜそうしたことが起こるかというと、何といっても、皆が「違和感を押しつぶせ」という無言の圧力を小さい時から教育を通じて受け取っているからだと思います。大人は子どもに「考えなさい」と言う一方で、子どもがものを考えて「それは変じゃない?」と異議を呈してくるのは面倒だと思っている。だから子どもに「これは変な事じゃないんだよ」という無言の圧力をかけてくる。こうして培われてしまった〝自分に嘘をつく習慣〟を変更するには、違和感を大切にするしかありません。「変だな…」と思ったらそれを忘れない。そこから少しずつ考えるという出来事が始まるのです。