file 03:何語で国際発信するか!?

国際的な情報発信は現在、基本的に英語で行われることが多いですが、この何語で書くのかという問題も、本当はとても重要です。たとえばアメリカ歴史学雑誌に投稿する場合には、どんなテーマが有利か、視点の細かさや範囲をどこまで取るかなどに関して、流儀・流派が少なからずあって、それは日本の学術雑誌とは違います。流行などもあり、どちらのほうがよいという問題では必ずしもありません。また、英語圏では、意図せず政治的含意を持つために議論しにくいことも日本語圏では深く議論しやすいといったことが、特に日本人が紛争当事者ではない私の研究分野については確実にあります。そうしたなかで、言語を一元化してしまうと、流派も一元化しかねないのです。

また、英語で書けばよいという問題でもなく、どの雑誌に載るか、どの出版社から出すかということがやはり重要です。日本の大学でも紀要などを英語で発信することがありますが、たぶん英語圏の研究者は読まない。その人の日本語の論文を読める日本人も、英語で書かれたものはわざわざ読まない。すると誰も読まないものを書くということにもなりかねません。

英語の雑誌ばかりみて研究を進めることも問題だし、英語さえ書ければいいというようなざっくりとした問題でもありません。各言語圏それぞれの長短を批判的に念頭に置いておくことが重要です。英語で発表することの利点は、世界の他の研究者とつながりやすくなることです。その際、つながりだけを目的にするのではなく、多少は相手の流派に合わせることは必要ですが、本拠とする言語圏の視点を強みにするという戦略を考えてみるのもいいかもしれません。

私の場合は、一方で英語圏の研究者にわかる論文を書きつつ、他方では少なからず別の視点を持っている日本語圏をより豊かにしていくことに少しでも貢献できるよう、日本語でもしっかりとしたものを書くようにしています。両輪を持つことで、自分の中でも一元化しないようにすることができます。制度としてもそういったものが必要だと考えています。