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おとなりの研究者
東京大学
大学院情報理工学系研究科 創造情報学専攻
准教授,准教授

岡山大学
自然科学研究科
講師

岐阜大学
工学部

豊橋技術科学大学
リーディング大学院教育推進機構
特任教授

福岡工業大学
情報工学部 システムマネジメント学科
教授

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研究の壁を越えたとき IV

コンピュータでもわかる記号論。

東京大学
田中久美子准教授

シニフィエとシニフィアンって何ですかっ!?……そんな方にもまさに朗報なのが、プログラムにもなじむ記述のしかたで記号論を理解しようというまったく新しい文理融合を試みた、東京大学 田中久美子准教授の研究だ。いま話題のその著書『記号と再帰』を巡って、秋葉原にある研究室で、田中准教授にお話をうかがった。

プログラミング言語か自然言語か?

私が初めてプログラミング言語に出会ったのは、高校のコンピュータの授業の時でした。BASICという言語でプログラムを書いたのを覚えています。その後大学へ入り、修士課程でたまたまプログラミング言語の研究室へ進みました。そこで、プログラミング言語や計算に関する基礎的な理論に触れる機会があったんですね。

ところが博士課程へ進む時、私はプログラミング言語から自然言語へ、進路を変えたんです。なぜなら、プログラミング言語は形式的でいいのですが、もうちょっと豊かな何かということになりますと、自然言語でないと表現できない。それともう1つには、コンピュータそのものの基礎理論は20世紀初頭の頃から基本的な提案があり、OSやプログラミング言語の基礎技術がすでに確立されてきていました。当時、90年代後半頃というのは、ちょうどコンピュータ技術の関心がコンテンツにも向き始めた時期でもあり、これから研究していくならば自然言語のほうがいいな、と思ったわけなんです。

今、研究室で進めているのは、膨大な量の言語データを使って、言語の中にある数理的な構造を探るという研究です。辞書翻訳のアプリケーション、言語入力などのユーザインタフェースといった情報理工学の分野、自然言語処理、そしてそれらの基礎となる計算言語学計量言語学まで、言語に関することはひと通り扱っています。

形式的に美しい世界で記号論を整理する

言語に関するこのようなふだんの研究の外にも、よく考えれば、その基礎をさらに掘り下げたところに、言語哲学や記号論といったエリアがあります。『記号と再帰』は実はここに取り組んだもので、言語以前の、人間存在のすべてを覆っているこの「記号」というものについての理論を、何より自分が理解したいと思って書き始めました。

しかし……世の中往々にして、メインの研究よりもサブのほうが、自分の中では真剣だったりしますよね?(笑)。アプローチとしては従来から、論理学などの形式的な方法を使って、自然言語やプログラミング言語の意味を明らかにしようという方法があり、こちらのほうがふつうです。しかし私はこれとは逆に、プログラム言語そのものを形式的な世界と見立て、これを使って、とても複雑なことになっている記号論を整理しようとした。そんな本が、第19回大川出版賞そして第32回サントリー学芸賞(思想・歴史部門)にも選ばれ、とっても驚いています。

というのも記号論はこれまで、まるで小説であるかのように、ソシュール、パースといった人々の本を全部読んで初めて何か茫洋と、記号論が扱っているものが見えてくるという世界しかなかったと思うんです。─しかし理論というのは、何か1ついい教科書があって基本を全部押さえていたらそれで一通り見通せる、というのが本来なんです。一方、この本への感想を読みますと、形式性に関心のある文系の方や、30代前半ぐらいの哲学に興味のあるプログラマの方などが、読んでくださっている。この本がかつての私と同じように、記号論の全貌も本質も見えずに苦しんでいる若い人たちへ、もし記号論を使いやすくしたり、計算・プログラムの核心を伝授できたりしたのならば、たいへんうれしく思います。

再帰というジャンル

この本の1つの主張点である「再帰」というのは、ひとことで言えば自己言及的な様式のことです。自然現象を捉える人間のあらゆる表現、言い換えれば知というものには、紛れもなく再帰という本質的な性質がある。ですから人類史上これについて考えた人はたくさんいて、哲学、論理学、言語学などの学問領域においてばかりでなく、神話から絵画映画小説などを通じて数え切れないほど表現されてきてもおり、これらをみんな含めて再帰という1つの「ジャンル」を形成していると言っても過言ではありません。

岩井克人先生(経済学、東京大学名誉教授)は、経済の中にある再帰が破綻するという危険性についてずっと言及して来られましたし、たとえば映画なら、すぐに思い浮かぶのがクリストファー・ノーラン監督・脚本・製作の『インセプション』(Inception, 2010) 。またデヴィッド・クローネンバーグ監督の『イグジステンズ』(eXistenZ, 1999)なども思い出されます。これらの表現を読み解こうという時や、経済学や生物学などの複雑な対象に向かう時にも、再帰という特性を理解しておくこと、あるいは再帰を解釈の軸として持っていることは、きっと役に立つと考えられるわけなんです。

今後はですね、いよいよ記号から一段上がって、言語の構造を取り扱う計算言語学の分野にフォーカスしたいと思っています。たとえば人は文を読めばその構造を瞬時に理解するし、類似する事物をまとめて範疇化する。そういう性質がいかなる原理から成っているのか、その解明に取り組んでいこうと考えています。

文:池谷瑠絵 写真:水谷充 取材日:2011/01/13