つながるコンテンツ

智のフィールドを拓く トビタつための星 可能性を照らす道 未来を探るひきだし 明日へとつなぐ鍵 変化をひらくドア 研究の壁をこえたとき Moyapedia
おとなりの研究者
東京大学
大学院情報学環
教授

星槎大学
共生科学部・大学院教育学研究科
副学長

大阪大学
COデザインセンター
教授

京都大学
文学研究科
准教授

工学院大学
基礎・教養教育部門 基礎・教養教育部門(一般教育部・人文)
教授

つながるコンテンツ
変化をひらくドアII

科学が今さしかかっているところ。

東洋英和女学院大学
村上陽一郎 学長

東日本大震災後最初のインタビューは、東洋英和女学院大学 学長、東京大学・国際基督教大学名誉教授の村上陽一郎氏にお願いをした。場所は節電のため冷え切った東京・六本木の、とある建物内。科学史をご専門としながらも、「現代社会の中で科学や技術がどういう意味を持っているのかということについて、考えを巡らさないわけにはいかない」という村上学長に、お話をうかがった。

好奇心駆動型の科学

現代社会の「科学者」と言えば、科学を行う専門家として社会的にもその立場を保証されている人間のことを言いますね。しかし、このような存在は、実はそれほど古くからあるわけではないんです。自分は科学者であると名乗る人がヨーロッパの貴族などの中からぽつりぽつりと現れ始めるのは、19世紀も半ばになってからのことです。彼らは生計を立てる必要がなく、自分のお金でラボラトリーを作り、図書館の司書のような役割を果たす人を雇い入れ、実験装置を組み立てて、さまざまな実験を行います。科学の本来の姿として、しばしば「curiosity driven(好奇心駆動型の)」という英語が使われますが、この時代、自然現象を突き詰めていったらおもしろい、これを解明しなきゃ死んでも死にきれないと思うような人たちが少しずつ現れて、科学者と呼ばれる存在になっていきます。

それ以前は、たとえばガリレオもニュートンも、「科学者」という言葉はないわけですから、みんな「哲学者」だったんですね。ちなみにガリレオの最後の職業は「トスカーナ大公づき首席数学者兼哲学者」というものでした。彼らは知を愛する「フィロソフィア」というギリシア哲学の伝統を受け継ぎ、実際的な効用を離れて、まさに真理を探究していた。もっとも中世から近代初期にかけてのヨーロッパはキリスト教が支配していましたので、彼らの探究は同時に、神の作品であるこの世界をよりよく理解しようという動機にもとづくものでもあったんですね。

ところで、その一方で人間は、昔から自然現象の中に規則性を見出し、経験的なデータを積み重ねていって、これを元に予測を立てるという営みを行ってきました。たとえば農作物の収穫を上げるためには星の動きを知り、一年間のカレンダーを作らなければなりません。古代、おそらく農業社会が始まって、最初に必要になってきたのが天文術、そして医術であっただろうと思います。ただ、これらは確かに科学だけれども、同時に技術でもあるわけですね。「占星術」と同じように「術」であるわけなんです。このような具体的な生活の中にある問題を解決するための知識体系、つまり技術とは離れたところに、科学の本来の姿があるのではないか、と私は考えています。

科学と技術が結婚した「マンハッタン計画」

20世紀の始め頃まで、科学の世界と技術の世界はこのように時折交錯しながらも、大きな流れとしてはほぼ平行していたと見ることができます。よく例に出されるのですが、電気関連技術のほとんどの分野に先鞭をつけたエジソンは、ちょうど同時代に電磁気学で最も重要なマクスウェルの電磁方程式が発見されていたにもかかわらず、生涯これを知らなかった。そのくらい科学者と技術者とは別の世界に生きていたんですね。ところが1930〜40年代になると、科学をより実際的な効用へ役立てようという動きが顕著になってきます。それが最も鮮やかなかたちで結実したのが、マンハッタン計画だったと言えるでしょう。

第二次世界大戦下のアメリカで、原子力という非常に大きなエネルギー源を使って大量殺戮兵器を作れという国家プロジェクトが始まった、これがマンハッタン計画ですね。原子爆弾なんて夢にも思わず、ただひたすら原子の世界をさらに分けていったらどうなるだろうか、ということを研究していた多くの優秀な科学者がロスアラモスに徴発され、その研究が大量殺戮兵器開発という目的の下に進められることになったわけです。

ちょうど同じ1935年頃から、産業界でも、科学者の持っている知識を産業に利用しようという動きが明確になっていきます。アメリカではGE(ゼネラル・エレクトリック)やデュポンといった大企業が率先して科学者を雇い入れてインハウス・ラボラトリーを作り、彼らの研究能力を企業のミッションを達成するために活用しようとし始めます。第二次世界大戦が大きな転換期となって、産業界でも政府レベルでも、科学者を現実の問題の解決のために活用する“チャンネル”ができあがっていくんです。

ブダペスト宣言12年、専門的知識の連携へ向けて

科学者は、自らの研究と社会との関わりについていかに考えるべきなのか。近年、このひとつのターニングポイントとなったのが、1999年にブダペストで開催された世界科学会議です。世界から約2,000人が集まり、1.知識のための科学(知識の進歩を目指す)、2.平和のための科学、3.開発のための科学、4.社会における科学と社会のための科学─という宣言を行った。つまり、科学にはまずそれ自体を目的とした純粋研究があるけれども、社会を意識した科学も科学として認めようじゃないか。科学者たちは人類史上初めて、このことを公に宣言したからです。

そこでまずひとつ言えるのは、少なくとも専門的な知識については、専門としている研究者が一番よく知っているわけですから、その責任はひとりひとりの科学者にあるだろう。もしもその専門的な知識の中で、社会に対してある種の危険があることに気づいたら、やはりきちんと社会に知らしめるチャンネルを作らなければならない。しかし一方で、社会におけるリスクという問題は、その専門的な知識の中だけで解決できるものもあるけれども、やはりできないものがどうしてもあります。

今回の福島の原発の問題は、われわれはどこまで予測できるのか、そして人間にはどこまで人工物の管理能力があるのかを問うものであり、今、原子力関係者は非常に厳しい状況に直面しています。でもそれと同時に問題を突きつけられたがゆえに、むしろ、イノヴェーションへの志向をこれまで以上に、強く感じている研究者も少なくない、と期待したいですね。たとえば原子力施設を無人化し、炉内で動けるようなロボットを開発する研究などが行われていますね。われわれの生きている世界、今やみんなそうだといってもいいくらい、人工物ばかりです。本来自然を扱う科学者と、基本的に人工物を扱う工学者がいっそう緊密な連携を保ちながら、ひとつひとつの問題に立ち向かっていくという場面が、これからはより戦略的に必要であろうと考えています。