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レスキューロボット、奮闘中!

理東北大学大学院情報科学研究科
田所諭 教授

このたびの東日本大震災で福島原発に投入され、現在も活躍中の災害対策支援ロボット「Quince(クインス)」。その産みの親の一人である田所諭教授を、研究室のある東北大学大学院情報科学研究科に訪ねた。レスキューという課題に対して研究者は何ができるか、大学と人命救助の間に橋を架けるには? ……取り組みの現在についてお訊きした。

問題に対してどれだけ有効であるか

1995年1月17日の阪神・淡路大震災当時、私は神戸大学にいて、大学も、学生たちも被災しました。私はずっとロボットを研究してきたんですが、その時、じゃあ、レスキューという問題に対して世の中でどんな研究が行われているんだろう、と調べてみたところ、ほぼ誰もやっていないんですね。これは、人命救助のための有効なシステムをつくらなければいけない、と思い、取り組みを始めました。その後2002年の「大都市大震災軽減化特別プロジェクト(文科省)」の中で、日本のレスキューロボット研究が本格的にスタートしたんです。

第一の目的は人命救助ですが、たとえば新潟中越地震では、被災した工場内に有害な化学物質が充満し、長い間人が入れないという事象がありました。また地下鉄サリン事件のようなケースも考え合わせると、人が入ると危険な場所へロボットが入って先行捜査し、状況を調べるといったことに役立てるのではないかと考えられます。そこで2006年度から始まった「戦略的先端ロボット要素技術開発プロジェクト(NEDO, 新エネルギー・産業技術総合開発機構)」で、このようなロボットの開発を進めていました。

ちょうど、そのプロジェクトが終わろうという時に、東日本大震災が起こったんです。そこで、レスキューロボットが役立つ場所があるだろうと東北一円に声をかけたんですが、どうなっているかわからない、ニーズが上がって来ないといった状況でした。一方、福島原発に関しては、われわれの「Quince」は全く原子力のためのものではないのですが、放射能や原子炉特有のいくつかの点を除けば、問題は比較的似ていますので、ある程度役に立つはずだと考えました。それで現在、建屋内の情報収集や線量率の測定等に活用されています。

1%でも動かない可能性のある道具は使えない

救助をする、災害に対応するというのは、ロボットや機械がやるんじゃないんですね。人間とその組織が対応する。これはきわめて重要なことなんです。たとえば自動車だって、最初は実用というより、おもちゃみたいなものだったでしょう。しかしそれが性能を上げていき、交通規則や教習所が作られたり、販売やメンテナンスする会社ができたりして、今では分厚い構造ができあがっています。ロボットは道具の一つであって、本当に人命救助ができるためには、このような全体のシステムが必要なんですね。多くの人々が取り組んで、10年、20年かけてできていく。

まず最初に現場に到着するのは、消防警察、自衛隊といった人たちです。ロボットが使われるにはまずこれらの組織に配備され、訓練が行われていなければならない。ところが彼らは、自分の命も危ないようなぎりぎりのところで仕事していますから、1%でも動かない可能性があるような道具は使えません。この1%を保証するのは研究者ではなくて、通常は会社が製品の品質保証というかたちで可能にしていく部分なんですね。産業に成長していっているものは、実はこのような持ち場がつながって、ループが回っているんです。

大学はもっと現場を、社会を見る必要がある

災害は必ず起こるし、それによって亡くなる方がいる。起きるたびに悔しいなあという思いばっかりですけれどもね。レスキューは、基本的にはみなさんが税金の対価として受け取る安全と考えられる。このように世の中のさまざまな社会的な問題に対して、科学技術は大いに役割を担うべきだと思います。

しかしながら科学技術には2つあって、実現方法がもう見えていて進めやすいものと、まだどうすればいいか見えないものがあります。後者を担うのが大学であるわけですが、日本はおそらくこの混沌としたところからリサーチアイテムをきちっと整理して分野を生んでいくというのが極めて弱い。同じ技術でもいろんなところに有効であるということを証明したり、アプリケーション側を充実させたり、制約条件を軽減したりすることで、太い幹に育つような態勢を作っていかなければなりません。すべての分野で実用性のあることにシフトする必要はないけれども、少なくともロボティクス人工知能情報系の一部の分野などは該当するのではないでしょうか。

たとえば医学の分野では、大学と現場とがつながっていて、臨床事例報告の積み重ねがちゃんと使える薬や医療手段を生み出しています。このように災害時にロボットを入れたら現場はどんな状況で、どんな条件やニーズがあったのか、といった報告も論文として認め、積み上げていくべきだと私は思いますね。それによって、本当に達成しなければならない目標が明らかになっていくはずだから。未来は予測できないし、自分の見えている限られた範囲の中から考えていくしかない─研究のまなざしは俯瞰なんかじゃなくて、完全にボトムアップなんですよ。