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法学部法律学科
教授

東洋大学
法学部第一部 法律学科
教授

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明日へとつなぐ鍵Ⅴ

法の伝統、それを乗り越えること。

東京大学
石川博康 准教授

制定から110年余りを経て、債権編を中心とした民法の改正の動きがある。明治以来ほとんど改正の手が及ばなかった、民法典(債権編)。民法学は、その変わらないテクストをどう解釈するかという解釈学を中心に行われてきた。このような状況が変わりつつある今、法学者は学問的な立場から、どのような役割を担うことができるのか?─日々のご研究から立法との関わりまで、民法(契約法)などを専門とする東京大学社会科学研究所 石川博康准教授にお伺いした。

法のなかの歴史性と普遍性

民法典を初めとして、現在の日本の基本的な法典は、明治の時代に、当時のフランスドイツなどで編纂されまたは編纂作業が進められていた大陸法の諸法典を継受したものが少なくありません。たとえば民法典の規定などを見ると、日本の法律でありながら、ローマ以来の西欧法の歴史の中で通用してきた伝統的な規律が、ほとんどそのままのかたちで引き継がれている─そんなことも、民法について勉強するとしばしば気が付かれることかと思います。このように私たちの民法典上の諸制度が西欧法の系譜に直接に連なるものであることは確かですが、法制度が妥当する社会や経済の状況などが異なれば、その意義や機能も当然に異なってきます。ある法制度が地域や時代を超えて普遍的に通用しているように見えても、多くの場合、そこには様々なずれや歪みが生じています。そして、そのような差異を厳密に識別すること、またその差異を生じさせた歴史的・社会的・理論的要因を探ることは、その法制度が機能するための諸条件やその理論的特質を把握する上で、決定的に重要な作業となります。比較法法史学といった研究方法は、このような差異を識別・分析する作業と深く関わっています。

たとえば、日本の民法典では、契約や単独行為(遺贈など)を包摂する上位概念として、意思表示を通じて私法上の権利変動をもたらす「法律行為」という概念があり、これに依拠した諸制度が、民法総則で規定されています。しかし、そのような意思表示を中核とした抽象的な「法律行為」の概念は、19世紀ドイツの法律行為に関する学問的成果を基礎としており、またそのドイツの法律行為論については、領邦の絶対主義権力の定めた法体系からの演繹という思考様式の重視とそれによる前近代的法秩序からの脱却という、当時のドイツ国内の社会的・歴史的状況によって強く規定されていました。そうすると、そのような諸前提の上に構成された一定の歴史性を有する存在である「法律行為」の概念を、21世紀の日本でどう機能させていくべきであるのか、またそもそもそれを維持していく必要性がどこに見出されるのか債権法改正に際して民法総則上の諸制度の構造的な変革が検討されるのであれば、そのような点に関しても、やはり根本的に問い直す余地があるように感じます。

現に存在する法を前提として、これをどう解釈して実際の社会で運用していけばいいかを導いていくのが、法解釈学という学問です。私自身は、対象としているテクストの歴史的な分析などを通じて、各法制度が理論的にどのように位置づけられるのか、それらがどのような歴史的または社会的な条件の下で成立・存続し得たのか、そしてそれらの法制度が現在の社会状況の下で機能するためには何が必要となるのか、そういったことを厳密に探究していく、そのようなタイプの法解釈学に日頃携わっています。

中でも私が専門にしている契約法は、契約という制度自体は極めて身近なものでありながら、それについて学問的に詰めていこうとすると、本当に難しい。たとえば、「約束は守られなければならない」という契約の拘束力に関する基本原則についても、ある時代に教会法ではどうなっていたのか、さらに哲学上の議論としてはどうだったのかといったように、様々なレベルにおける多くの問題と複雑に絡み合っており、その原則の現状についての単純な理解や歴史的な発展過程の単線的な把握などはおよそ不可能である、ということがよく分かります。逆に言うと、そのような様々な文脈へのつながり、長年にわたる理論的・実践的な蓄積に裏付けられた深遠さを感じたからこそ、契約法に関心を抱くようになったのかもしれませんね。

註解さえも禁じられた『ローマ法大全』。

この法解釈学という学問の性格やその成立過程については様々な見方がありますが、法テクストを解釈し釈義を付すという法解釈学の伝統的なスタイルは、6世紀に東ローマ皇帝のユスティニアヌス1世が編纂した『ローマ法大全(Corpus Iuris Civilis)』が11世紀になって再発見されたことに、一つの起源があると考えられています。イタリアのボローニャの法学校では、12世紀初頭のイルネリウス(Irnerius)以来、スコラ神学における聖書解釈の方法を用いた『ローマ法大全』の解釈に関する講義が行われ、個々の法文に対する数多くの註釈が、註釈学派と呼ばれる法学者たちによって積み重ねられました。それらの成果は、13世紀にアックルシウスによって、「標準註釈(Glossa ordinaria)」として集大成されました。それぞれのテクストについての適切な理解にたどりつくために、様々な思考を働かせながら注釈をつけていくという作業は、この時代からの伝統なんですね。

『ローマ法大全』は4部に分かれており、法学の入門書にあたる「法学提要(Institutiones)」、紀元前1世紀から3 世紀ごろまでの法学者の見解をまとめた「学説彙纂(Digesta)」、そして皇帝の勅法集である「勅法彙纂(Codex)」と「新勅法(Novellae)」から成ります。その施行に際して、ユスティニアヌス帝は『ローマ法大全』について註釈や解説を付したりすることを禁じましたが、その目的は、写本に付された解説が法文の本文自体と混同されてしまうことによって原典の内容が歪められるのを避けるためであったと理解されています。

12世紀以降の註釈学派においても、『ローマ法大全』の法文は「書かれた理性(ratio scripta)」として絶対視され、そこでも原典の尊重という意識が堅持されていました。アックルシウスの「標準註釈」を見ますと、その中央に『ローマ法大全』の法文があり、その周りを註釈が取り囲んでいます。アックルシウスは、様々な法学者たちの見解の対立状況を具体的に明らかにした上で、それらに関する自身の解釈上の帰結を示唆しています。註釈学派の成果に対しては、そこでの論拠が法文の解釈にとって適切なものであったのか、さらには、原典それ自体に対する文献学的な批判の作業を経由することなく行われた解釈には何らの意義も見出され得ないのではないか、といった根本的な批判が向けられていることも確かです。しかし、註釈学派を初めとする多くの法学者たちによって形作られていった法解釈学の伝統、解釈者として原典と向き合うその姿勢は、そのような歴史の中に淵源を有する様々な法制度とともに、私たちが手にしている貴重な学問的遺産であると言うことができるでしょう。

法解釈学を乗り越えるためのプロセス

このようにして法解釈学が積み上げてきたものを、立法や法改正によって置き換えたり、塗り替えたりする作業は、どのようにして行われるべきか? 近年、特に立法の重要性が増してきていますが、この点に関しては、私たち法学者がこれまで法解釈学の成果を乗り越えるときにどのような学問的な手順を踏み、何を考えてきたのかが、参考になるのではないかと考えています。

確かに、立法は、法解釈学が前提としてきたテクスト自体を置き換える結果をもたらすものですから、解釈という作用の限界の範囲内でのみ行われる法解釈と比べると、より柔軟なルール変更が可能です。しかし、あるルール変更が行われたとしても、その個別のルールが結び付けられている法概念法制度自体については従前のものが維持されるのであれば、それらの法概念や法制度が背負ってきた社会的・機能的な諸前提もまた引き継がれることになります。たとえば、契約の解除という制度に関する具体的規律が変更される場合でも、解除という法制度に依拠し続ける限りは、解除制度が機能するための諸前提によって引き続き規定され続けることになります。

法制度の基礎にある諸前提によって限界付けられつつその具体的規律のあり方が模索されるという点では、立法においても、法解釈と同様の理論的制約が及んでいるものと考えられます。そのような法解釈上の制約をめぐって法学者たちがこれまで考えまた議論してきたことは、立法に際しても十分に考慮されなければなりませんし、また、そのような制約を実際に乗り越える際には、法学や法実践の歴史などに照らして合理的なものであることが示されなければなりません。法解釈学の諸成果を、単なる利害調整や政策的判断の結果によってではなく、厳密な学問的批判に耐え得るプロセスによって乗り越えていくことが、現在の民法学が背負っている大きな課題の一つであると言えるでしょう。

法解釈学を乗り越えるためには、歴史学だけではなく、社会学、経済学、哲学など、さまざまな分析手法に依拠することが可能です。たとえば法制度における「信頼」の機能やその規律について考える際には、「信頼」の概念を軸にして広く政治学経済学社会学心理学などにまたがって展開されている学際的な議論から、重要な示唆を得ることができるでしょう。そのような学際的な議論を眺めつつ改めて法学上の議論に立ち返ってみると、むしろ契約法の世界にこそ、現代の社会そのものを捉え直したり組み替えたりするための決定的な鍵が隠されているんじゃないか、そんな魅力を感じたりもするんですね。