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総合経営学部 商学科
教授

つながるコンテンツ;智のフィールドを拓くⅪ

計量社会学で家族の姿を描き出す

立命館大学

筒井淳也 教授

リフォーム減税を実施すれば、少子化をくい止めることができるだろうか? そんな漠然とした疑問について、クールに考える方法がある。計量社会学という方法で、社会の姿を読み解く立命館大学 筒井淳也教授に、社会の見方や施策に対する視点を聞いた。

◎三世代同居は、出生率を上げるために有効な施策なのか?

キッチン、トイレ、浴室のいずれか2つ以上の増設をするリフォームに対して、減税措置を行うという施策が提示されている。いわゆるリフォーム減税である。三世代同居を促すためのもので、キッチン等の設備を充実させそれぞれの世帯に独立した設備を整えるためのものだ。三世代が共に暮らせば子育てに対する負担が減り、希望する人数の子どもをもうけるようになるというシナリオが描かれている。

所得や住宅事情、また保育環境や労働事情により、夫婦が希望する数の子どもを出産できないというのが少子化の主な要因とされ、結果的に希望出生数を満たすことができていないのが現状だ。これに対して、保育園の拡充など社会的保育支援の政策が打ち出されているが、リフォーム減税は、子どもの両親だけではなくおじいちゃん、おばあちゃんの手を借りて子育てしやすい生活環境を整えようという発想に基づいている。

孫をかわいがるおじいちゃんやおばあちゃんがそばにいれば、親の負担は減りそうな気もする。政府は「祖父母世代との居住距離が近いほど、出生する子どもの数が多くなる傾向にある」と説明するが、そんなに簡単にいくのだろうか? この施策に対して、計量社会学の立場から批判的視点を示しているのが、立命館大学の筒井淳也教授である。

「三世代同居の現状と希望する子どもの数が一致したとしても(相関関係)、それが同居が出生数を引き上げた(因果関係)とまでは言えないですね」と、すっぱり。「それに、ひとくちに三世代同居といっても事情はさまざまです。小さい子どもたち全体のうちどれくらいが『健康で、しかも時間に余裕のある祖父母』すなわち、『積極的に子育てに関わることができる条件を持つ祖父母』と同世帯にいるのかを見なければいけません。不仲や介護の負担など同居がもたらす負の影響についても考える必要がある」と、数々の問題を指摘する。

◎数値から事実を読み解く

三世代同居と出生率の間には、因果関係があるのだろうか? 「これは、0~4歳の子どものうち三世代世帯にいる割合を調べたものです」と筒井さんが示したのが図1だ。最も同居割合の高い山形県の付近と、やや左上に位置する沖縄、宮崎、鹿児島などに注目してみる。「三世代同居割合は、山形県、秋田県、岩手県、新潟県、福井県が高く、福井県では出生率も比較的高くなっています。ここだけ見ると3世代同居数が多いと出生率 が高いと言えてしまいます。でも、左の方はどうでしょう?」と筒井さん。鹿児島県や宮崎県、沖縄などのように、三世代同居が10%程度と最も低い部分に属しながら出生率は1.6以上となり、1.9を越える地域もある。「これだけを見ても、三世代同居を増やせば出生率も向上するという関係では説明できない別の要素があることが推察できるはずです」と筒井さんは話す。


図1 (作成:筒井淳也)

このようにデータをより詳細に見てみると、当初の仮説とは異なった傾向がはっきりと見えてくる。筒井さんは図2を示しながら、因果関係を論じる際には、同一の地域における異なる時点の動きを見る必要性について説明してくれた。「都道府県ごとに1995年と2005年、2回調査した結果を見ると、1つの例外もなくすべての都道府県で、10年の間に三世代同居の子どもの率と出生率の両方が下がっていることがわかります」。これを見ると、三世代同居と出生率の間にはかなり強固な相関関係があるように思える。ところがそうとも言えないというのが筒井さんの見方であった。


図2 (作成:筒井淳也)

「特定の地域でのみ同居率が下がっておらず、同時にそこでは出生率も下がっていないというのならまだしも、日本のすべての都道府県において同居率も出生率も一律に下がっています。ということは、2つの数値の変化はより大きな社会経済的な変動を反映したものなのではないか、と考えられます」と広い視野から分析する必要性を語った。たしかに、三世代同居の数を主としてそれに対して出生率がどう動くのかという文脈で考えるだけでは説明ができない。もっと別の要因を探す努力をすべきと考えるのが理性的、科学的な態度といえるだろう。それに加えて、「大きな社会的変動によって変化したのであれば、その流れを変えようとするのは相当に難しいのではないか」とも予測する。リフォーム減税の有効性についての疑問がさらに深まっていった。

そもそも、どうしたら希望出生率を上げられるかということだけ考えるのは、狭い範囲の議論のように思える。祖父母がそばにいれば孫かわいさに都合よく育児をやってくれるというのもあまりに短絡的。まず、なぜ生まれてくる子どもの数が少ないのかを考えたい。人口学では、出生力(出生率によって示される出生傾向)は、有配偶者率(どのくらいの人が結婚しているか)、有配偶出生力(結婚している人がどれくらいの子どもを出産しているか)、婚外出生力(結婚していない人がどれくらい子どもを出産しているか)で説明できる。日本では婚外出生力がきわめて小さいため、結婚していない人が増えていること、結婚していても子どもをあまりつくらなくなっていることの2つが主な要因となる。

「このような人口学的な要因については遡ってデータが存在するので、出生力低下のどの部分までが未婚化によるものか、または有配偶出生力の低下によるものかは比較的明確にできます」。すると次は、「結婚しても子どもを作らないのはなぜか」と「未婚化はなぜ起こるのか?」という疑問が沸き立ってくる。しかしその先のデータがないのが目下の悩みだ。未婚化の理由についても、女性の経済的自立を重視する立場と、経済成長の鈍化による男性の所得上昇が見込めないため結婚に踏み切れない状況が生まれているという立場の見方があるが、はっきりとした結論は出ていない。そのため、一般の人びとも未婚化についてのまとまった考え方を持つことができていないというのが現状だ。「これは悩ましい問題なのです。議論が整理されない状況が続くと、明らかに間違った対策に同意してしまうこともあり得ます。少子化とそれによる高齢化、ならびに人口減少が問題であることを多くの人が認識しているにも関わらず、それをもたらす未婚化の原因の特定が混乱したままの状態は、政策について深く議論したり方向性を定めていくことを遅らせ、結果的に社会の損失につながる可能性もあります」と、筒井さんは懸念する。

◎計量社会学は常にデータ不足

「計量社会学とは、見えている現象や漠然としたイメージではなく、社会調査のデータをもとにして社会の姿を明らかにするものです」。そしてそのアプローチは2つあり、その1つは、何かの現象について、特定の政策介入の効果を測定しようとする「因果推論」である。例えば、「出生率を上げるために『子ども手当』は有効だったのか」など、子ども手当という政策について、その後の結果との関係性を明らかにするもの。そしてもう1つは、社会の姿を長期的・広域的スパンでデータを使って記述してみようというアプローチである。そのデータがどのような特徴を持っているのか、過去からの変化を見たり、諸外国との比較などを行ったりと、縦横に視野を広げることによって社会の特徴を記述する方法である。ということは、長期間、正確に集められたデータがあるかどうか、なければどのようなデータを集めるかといったことが大切になる。

しかし、それだけでは研究は成り立たない。「データさえあれば社会の姿が分かるというほど、簡単ではありません。肝心なのは得られたデータの解釈です」。筒井さんは現在、女性の労働力参加と出生率の変化との関係の解明に取り組んでいるが、1つのデータがあったとしても、それを解釈する道筋は複数存在するといい、それは社会学者にとって「常識」と言えるものだという。その解釈をより真実に近づけるかが、もっとも頭を悩ませるところだ。

たとえば、高学歴女性の方が晩婚化する傾向が続いたというデータがあるとしよう。これに対して、少なくとも2つの解釈を導くことが可能だ。1つは「せっかく大学まで進学して勉強したのだから習得したスキルを活かして社会への貢献や自己実現をしたいのだが、結婚をするとそれが難しくなる」という解釈。もう1つは、「仕事での自己実現には関心はなく、安定した職を持った男性と結婚できればいつでも仕事を辞めると思っているものの、それに適した男性が見つからない。そのとき高学歴であるほうが結婚相手を長い間探し続けられるため、結果的に結婚が遅くなっている」というものである。「どちらの理由からも、高学歴女性の結婚が遅いという結果が生み出されてしまいます。一方では女性は仕事を続けたいと考えているという解釈、他方では続ける必要はないと考えているというように、同じデータから反対の解釈が引き出せるのです」。

「どちらを採用するのかを判断するのはとても悩ましい」と筒井さんは計量社会学の難しさを口にする。「データが足りないのです」。70年代後半ごろの時代から、結婚しなかった女性に対して「なぜ結婚しないのか」という理由を聞いた調査結果が存在すればより真実に近づけたのではないかと筒井さんは考えている。しかしこういった調査は存在しない。仮に今、該当者に過去の意識についてのインタビューを行っても、昔の記憶であることや本人自身の捉え方も変化しているため、正確なデータを取得することは困難だ。回顧的であったり記憶が美化されたりして、「そのとき」の事実には近づけない。「30年前からこういう調査をしていてくれればよかったのに、と思うことはときどきありますが、その時点で問題が顕在化していなかったり、その事象に対しての意識がなかったら、調査の動機は起こらない。過去の事実に近づけないもどかしさがつきまといます」。計量社会学では、常にデータ不足。「ほしいデータはたいてい存在しない」という計量社会学の世界では、新たなデータの蓄積を行うと共に、過去の断片的なデータから、現在、過去の社会の姿をさぐり、データとできるだけ矛盾のない記述を行う。複雑な要素をあぶり出し、関連性を見いだし記述して、私たちがふだん語ることのできる「社会の姿」が示されているのである。