つながるコンテンツ;智のフィールドを拓く2017vol2

日本の社会保障制度は、何を見落としているのか?

慶應義塾大学

駒村康平 教授

貧困・格差、少子化、非正規労働者の増加、貧困の連鎖、超高齢社会。これらの問題は実はすべて関連する。だからこそ広い範囲での多様な対策が求められる。待ったなしの少子高齢社会をむかえ、対応が追いつかない現状とその対策について、解決の新たな切り口を聞いた。

◎お金だけ出しても、貧困の連鎖は止められない

「経済的な理由で進学できないのなら奨学金などの制度を整えればいいという人がいます。でも、こんな発想はあまりに短絡的。お金を渡すだけで、貧困の連鎖が止まるはずがない」と、政府の対応が一面的であることを駒村さんは批判する。「経済的に困難で進学できないのであれば奨学金を出せばいいというのは、中学から私立の進学校に通い一流大学に進んだような官僚のアイデア。恵まれた環境で育ってきているために、現実に何が問題なのかを想像できていない。そのため、お金があれば学校に行くだろうと考えている」と、ばっさりと言い切った。貧困の連鎖を止めるには教育、住居、健康などの包括的な手当が必要なのであり、現金の支給で解決するほど簡単ではない。

厚生労働省が2014年7月にまとめた「国民生活基礎調査」によると、「相対的貧困率」(*1)は16.1%、これらの世帯で暮らす18歳未満の子どもを対象にした「子どもの貧困率」(*2)も16.3%となりいずれも過去最悪となった。長引くデフレ経済下で子育て世帯の所得が減少したことや、母子世帯が増加する中で、多くの母親が給与水準の低い非正規雇用であることが影響したと分析されている。親が貧困になるとその影響は当然子どもにも及ぶ。貧困の家庭で何が起こっているのか、その環境の子どもがどのような現実を抱えているのか、日常生活はどのように営まれているのかをていねいに見ていくべきだというのが、駒村さんの主張である。

貧困という環境は、金銭的な貧困に留まらない。食事をはじめ、健康状態も含めた生活全般で不十分な状況がある。「こういう子どもたちの環境の背景にあるのは、親の時間が『貧困』であることです。きちんとした食事を与えていなかったり、同世代の子どもがあたりまえに享受するような遊びや社会的な経験をさせることができなかったりします。健康や衛生面などのケアも十分ではありません」。すると、よく噛んで食べるとか、食後は歯を磨くなど、ひとつひとつの細かい生活習慣が身につかない。基礎的な部分で小さいときからビハインドの状態に置かれているのが貧困の子どもたちの実態である。このような環境では、学力、健康だけではなく、ものごとの捉え方や人との接し方を育んだり他者から認められたりといった、成長に必要な経験が得られない。もし虐待を受けていたら、長期のストレスにさらされることになり、ワーキングメモリーや感情をコントロールする能力にも影響する。

では、お金だけではない支援とはどのようなことが考えられるのだろうか。「子ども食堂(*3)などの活動がありますが、これは食事の提供だけではなく、さまざまな支援の糸口になり得ます。ここに来た子どもを観察すれば、勉強の習慣をつけなければいけないとか、生活や心に問題を抱えているのではないかとか、居場所を見つけてあげる必要がある、というようなことに気づくことができます。そういうきっかけが大切なのです。学習支援は大学生のボランティアに担ってもらい、教師経験者や児童福祉などの専門性を持った人が生活や心の問題などを扱う、時には親に助言をするなど、子どもの状態に合わせて支援者の役割をきめ細かく設定することもできるでしょう」。そうしたさまざまなサービスの組み合わせでアプローチするべきだと駒村さんは考えている。

「学歴は必要ないといって親が高校進学に反対する家庭もあります。親に児童手当、補助金をたくさん出せば進学するほど問題は単純ではありません。地域の周りの人がひとりひとりの子どもに着目し、ていねいなサポートをすれば、親と地域の大人が話す突破口にもなる」。家庭の経済力、親の立場など、生まれた家で人生が決まる社会はあまりにも前近代的だ。「どんな家庭に生まれようが自分の可能性を探ることができ、努力すれば報われる社会でなければなりません」と支援の本質を語る。

*1 相対的貧困率:必要最低限の生活水準を維持するための食料・生活必需品を購入できる所得に達していない絶対貧困に対し、等価可処分所得(世帯の可処分所得を世帯人数の平方根で割った値)が全人口の中央値の半分未満の世帯員を相対的貧困者とする。
*2 子どもの貧困率:子ども全体に占める、等価可処分所得が貧困線に満たない子どもの割合。
*3 子ども食堂:貧困家庭や孤食の子どもに、地域の大人が無償または安価で食事を提供する民間発の取り組み。食事の提供だけではなく、こどもの居場所づくりなど見守りも同時に行っている場合もある。

◎甘い予測が問題を拡大させた

駒村さんが扱うテーマは、貧困だけに留まらない。雇用年金少子化格差など社会保障政策全般を守備範囲とする。しかしそれはむしろ必然で、これらの問題は密接に関連し合っているのである。非正規労働など不安定な労働を余儀無くされた人たちは、社会保険社会福祉などの行政サービスから遠ざかりセーフティネットからこぼれ落ちていく。人生の見通しが立てにくいため、結婚に踏み切れない若者が増えることが少子化の一因に。経済的にも不安定な家庭に生まれてきた子どもは、厳しい状況に置かれたまま成長する。進学が難しいだけではなく、そもそも進学したいという意識が育たない。きちんと子育てをする意識に欠ける家庭もあり、働くことの意味や価値を親から学ぶことができずに学習や労働の意欲が十分身につかないなど、問題は次の問題を引き寄せる格好だ。その一方で、高齢者は増え、社会保障費の負担は増えていく。

「社会保障に関わる費用は、現在約120兆円です。日本のGDPは、約540兆円ですからその20数%が社会保障に使われていることを意味します。使い道の大半は高齢者ですが、高齢化によって対象者は増え続け、2025年には約150兆円が必要になります」。しかしこのタイミングがピークというわけではない。高齢化率は2040~2050年ごろまで上がることが予想されており、高齢者率40%を越えたあたりで頭打ちになる。「そのときの社会保障の姿をまだ誰も描けていません」。

1965年頃は、65歳以上の人ひとりに対して20~64歳の人口は9.1人。9人強でひとりを支える「胴上げ型」だった。しかし2012年は、ひとりの高齢者を3人で支える「騎馬戦型」に。そして1.2人で1人を支えなければならない「肩車型」の時代がすぐそこに迫っている。「政府は今ごろになって出生率を上げるなんて言っていますが、施策を実施して効果的な時期は過ぎてしまっています」。手遅れということか。「少子化対策を実施するにはこれから子どもを産む世代にそれなりのボリュームがなければならない。団塊ジュニアと呼ばれる世代は、1学年で約200万人いました。1970年代前半生まれだけでも5学年分で約1000万人。かなりのボリュームゾーンです。この人たちが子どもを持つのは90年代半ばから2000年代にかけてがベストのタイミングだった。今はすでに団塊ジュニアは40代半ばで、出生率を上げる政策をとってもこの層は反応しないだろうと見られています」。一方、この層はまさに非正規雇用者が増えた世代でもある。「これが格差を生み出しました。また、子どもが生まれる条件がそろわないので少子化に拍車がかかったのです」。このように問題が連鎖し合ってしまうと、限定的な対応ではもはや効果的な施策を打ち出すことができない状況となる。

人口動態をもとにこの状況を予測して、早めに制度設計を行うこともできたのではないだろうか。これに対して駒村さんは、政府の予測が甘め甘めに設定されていると指摘する。「男性の寿命は70歳代前半、女性の寿命は80歳あたりで頭打ちだろうとの想定で社会保障制度を作り、高齢者の数は2500万人くらいがピークと考えていた。しかし実際には4000万人に近づこうとしています。さらに生まれてくる子どもの数は多めに予測した。高齢化率(*4)は、70年代の予測で17-8%程度ですが現実は27%に達し、今後も上昇する。社会の変化に政策が対応しきれていません」。若い世代がこの状況を目の当たりにして不安を覚え、お金を使わなくなるので経済が停滞し財政収支が悪化。こうして、多くの問題が関連して雪だるま式に大きくなっているのが現状である。

*4 高齢化率:65歳以上の人口が総人口に占める割合

◎現場を見て、具体的な施策を提案する

こんな状況で、はたして将来の希望はあるのだろうか。高齢貧困世帯に対する年金制度改革、ワーキングプアへの対策、貧困の児童に対する対策、そして将来の社会保障制度の選択肢を駒村さんは提案するが、具体的な施策とともに重要な考え方も示す。それは、自分だけが損をしたくないと主張していたら改革はできないということである。講演などで高齢化が進むことにより課題になっている年金財政の持続性について話をすると、「自分は80歳を過ぎているから、将来の年金財政のことは関係ない」とか、「将来世代のことはどうでもいいから自分たちの給付は1円も削ってほしくない。自分たちは苦労した世代なのだから、十分な給付を受けるのは当然だ」という声が後を絶たないのだという。だが、そんな主張をしていたら、若者世代も自分たちの利害を主張するに違いなく、世代間の対立は増していくだろう。「その調整をするのが政治の役割なのですよ。みなが納得して痛みが分けられるようにしなければならない。すべての人が得をするような改革は存在しません。甘い見通しで良いことばかりを言う政治家、政党、有識者、マスコミを絶対に信用してはいけないのです」。

政府の予測が甘くはないのか? ある特定の層を優遇していないのか? その政策によって厳しい状況に置かれる人がいないか、自分の立場を越えて他者への想像力を持たなければ、甘い試算に基づいた政策を承認してしまうかもしれない。「まずは現在120兆円の社会保障費が使われていることを知ること、払っているからにはもらう権利もあるということもしっかりと認識すること。しくみを知らなければ権利を行使する機会を失うこともあること、育児休業給付や失業給付を受けるときには条件を満たす必要があるので市民としての知恵を持っていることが必要です」。

駒村さんは、現場に足を運び現実と向き合いながら政策に結びつくファクトを積み上げることを心がける。また淡々とデータを示すだけではなく、自分の視点からの判断を示していくことも必要だと考えている。現在、試みているのは精神疾患をもった方たちの雇用支援だ。精神障害の方は気持ちの揺れがあるため周囲の人への影響が大きく雇用継続が難しい。周りと働き方のペースが合わないと、あいつはだめだと排除され貧困に陥っていくこともある。このような状況の人たちをどう社会に引き戻していくのかについて政策的に取り組んでいる。きめの細かい、全方位的な社会保障提案。具体的に行動し、包括的に提案する研究に期待したい。