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明日へとつなぐ鍵Ⅱ

人は「科学」をどう考えてきたんだろう。

広島大学
隠岐さや香 准教授

科学技術の歴史を、それを取り巻く社会とともに解明していこうという「科学技術史」。この分野に取り組む、広島大学大学院総合科学研究科隠岐さや香准教授に、お話をうかがった。2011年、フランス語の膨大な史料を駆使し『科学アカデミーと「有用な科学」』を著した隠岐准教授。ところで、そのなかでも最も主要な「パリ王立科学アカデミー(Académie des sciences)」年誌・論文集という史料が、東京大学駒場図書館の中にあるという。さっそく隠岐先生にご案内いただくことにした─。

駒場図書館に眠る18世紀、フランス。

駒場図書館のこの書架に並んでいるのは、ルイ14世によって1666年に創立された科学アカデミーが、その創立時からフランス革命までずっと刊行してきた『年誌・論文集』(Histoire et Mémoires)と呼ばれる雑誌です。1698年以前は17世紀にアカデミーの会員が発表した研究を後からまとめたもの。1699年以降は毎年刊行されており、ただその年の内容がまとめられて初版が刊行されるのはだいたい2、3年後になっています。本国の科学アカデミーでも初版が全部揃っているわけではなく、いくつかの図書館では3版や4版を所蔵しているといった具合です。『年誌・論文集』とその目録などを、ひと通り読むことができる駒場図書館は、世界的に見てもよく揃っているなあという印象がありますね。

最初の頃の巻を開いてみると、まずレビューとメモワールという2つの部分に分かれています。このレビューは『年誌・論文集』のうち前半の「年誌」と呼ばれる部分にあたり、初代の終身書記であるフォントネル(Bernard le Bovier de Fontenelle, 1657-1757)が編者として研究動向をまとめたものです。一方の後半部分であるメモワールは「論文集」に相当します。ところが刊行時期によってこの構成にも変遷があり、時代が下ってくると次第にレビュー部分が姿を消し、代わってメモワールが増えていきます。また発表から刊行までの間に情報が古くなってしまうため、重要性が高いと判断された論文は、年次を繰り上げて収録するといったことも行われるようになっていくんです。

コンドルセが考えた「科学の有用性」

18世紀は、ニュートンらによる数学の発達を背景に、これを平均寿命や保険の計算のような社会の実務に適用していった時代でもありました。科学アカデミーも、政治経済領域のさまざまな社会現象に関心を持ち、そこに数学を応用して問題の解明を目指すようになります。私が扱った1780年代の年報の中には、よく「エコノミー」というジャンル名が与えられている論文があるのですが、これらはこのような試みのことなんです。たとえばこの頃、科学アカデミーは人口統計を出版していますが、それは人口という概念が成立していたからです。一般に、17世紀より前になると、聖書に人の数を測るのは傲慢だと書かれているように、人口統計という主題そのものが成り立ちませんでした。しかし18世紀を境に、人口は数字で表されるものというふうに変わっていきます。

この『年誌・論文集』の最後の終身書記を務めたのが、コンドルセ(Marie Jean Antoine Nicolas de Caritat, marquis de Condorcet, 1743-1794)という人物です。社会科学のニュートンが現れるのではないかという気運のなかで、コンドルセもそれになりたかった。彼は微小な部分の計算を積み重ねる微積分の発想から、人間の集団についても個人の集合として捉えてその全体を明らかにすることができるのではないかと考えていたようです。具体的にはたとえば投票に適用して、一人一人の啓蒙の度合いを仮定し、これが積み重なった全体の判断が合理的で啓蒙されているか/いないかを計算しようと試みたんですね。この試みはうまくいきませんでしたが、彼は「投票の逆理(コンドルセのパラドックス)」を考察したことで今でも知られています。

一方、アカデミーの外の世界では、18世紀後半に啓蒙思想が盛んになりながら、「公共善(公共の福祉)」のために何が出来るかという関心が高まっていきます。それと呼応するようにコンドルセも科学の「有用性」について、すなわち「なぜ科学をするのか?」を論じました。コンドルセは、科学の有用性には2種類あって、1つは地図が作れるとか、船が航行できるといったように、有限で短期的な要請。そしてもう1つは、万有引力の法則を例に、いつ役に立つかはわからないけれども無限の効用が考えられると述べています。今役立たなくても100年後には役に立つんだというように、有用のレベルを抽象化したものとも言え、その後、私たちの時代にも直結した科学観が既に示されていたことがわかります。

概念の布置がずるっと動いた時代

これはフーコーの影響もあるのですが、私は人がどういう枠組みでものを見ていたかに興味があります。たとえば現在ならば理系・文系、自然科学・社会科学・人文科学といった学問観なり、マッピングがあって、その上で初めて話が通じていますね。このような布置がずるっと動く時があって、18世紀はまさにそういう時代でした。「科学」と呼ばれるものも、これこれが科学であるとして自明視してしまうのではなく、今からみれば非科学であるものが科学とされていたり、逆にどのようにして科学でなくなったりしていったのかを見ていきたい。ある枠組みが提示されていたとき、その舞台裏をみるようなこと、その周縁でポイッとゴミ箱に捨てられているようなものを調べるのが大好きなんですね。ゴミの1個1個をみながら、これは現在から見るとこう言えますねということを説明するのが仕事だと思っています。

これからやろうとしているのは、まず1つには「エコノミー」という概念を国別に比較してみることです。そこから、社会科学の成立、神学と科学の分岐の問題といったいろんなテーマが浮き上がってくるだろうと考えていまして、共同研究で進めていければと思っています。たとえば、政治哲学の方でも、国家統治論に不可欠な「主権」という概念の出自を神学に求めていくという議論がありますが、経済学も元を辿れば神学の用語から来ています。かつて神が作った世界、宇宙の摂理を考える「オイコノミア神学」というものもあったんですね─そのような細部を詳細に検討していければと考えています。

もう1つはより地道な研究として、フランスのパリ以外の、たとえば南仏トゥールーズのような地方のアカデミーを見ていきたい。地方のアカデミーというのは、地元の名士のような人が知的な活動を行う集まりで、パリと比べると明らかに活動が低調であるとか、少人数でしかも給料も支給されないといった面はもちろんあるのですが、一方で各地に特有の技術的な背景があることが予想され、そこへ数学をどう応用していくかという点でも興味深いものがあります。また地方のアカデミーがいつ頃から中央集権体制に回収されていくのかという点も解明したい。たとえば道路が整備されて以降、明らかに出版業などは衰退していくんですね。このような関心が出てきて、このテーマに今、はまりつつあります(笑)。