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未来を探るひきだしⅣ

憲法から補助線をおろしてみると。

一橋大学
只野雅人 教授

法の一分野である「憲法学」とはどのような学問なのだろうか?─そこで今回は、フランス憲法学を礎に、憲法から統治機構のあり方を考えるというテーマで研究を続ける、一橋大学法学研究科 只野雅人教授にお話をお伺いした。折しも議論の生じている憲法改正は、憲法学の立場からどのように見ることができるのか。東京・国立にある研究室を訪ねた。

統治機構のあり方を憲法はどう枠づけているか

憲法は他の法分野と比べても、条文そのものが簡潔です。他の法律との関係もあるし、テキストだけ見ていてもうまく実質がつかめない面があって、いろいろなところから補助線をおろしてくる必要があると思うんですね。たとえば人権の問題を研究している場合には政治哲学の議論を踏まえて一般的な理論を作り、それに基づいて条文を解釈したり、あるいは判例分析を通じて理論を作り上げるといったように、いろんなアプローチのしかたがある。そしてそれこそが、憲法学のおもしろさだと思います。

私の場合は憲法が定めている政治制度を前提にしながら、統治機構のあり方、つまり国会内閣などの政治部門をどう見るかという視点で研究をしています。憲法は、先ず何より権力をしばる規範です。このことが一方では統治機構の規定になり、他方では人権規定になります。権力の範囲を限定することで、国民の自由を確保する。しかし統治機構の場合、憲法によってすべてを規定し尽くすことはたぶんできないから、いろいろ余白の部分があるわけですね。そこで憲法の規定からいろいろ補助線をおろしていくことで、あるべき政治のあり方とか、あるいは国会の機能のしかたを、ある程度方向性として見ていこうというわけです。

ねじれ国会を考える視点

実はこのところずっと参議院の研究をしていますが、近年「ねじれ国会」が問題になっていますよね? 日本の憲法は変わっていないけれども、国会の姿は実はとても大きく変わっている。すると今のような国会制度とか、代表のあり方、選挙のあり方等を、憲法からどう説明するのか?─近年の国会をめぐっては、このことが根本から問われていたのではないかと思います。

顕著になったのは1990年代以降ですね。政治改革ということで、衆議院に小選挙区中心のしくみを入れ、イギリス型の二大政党による政権選択の選挙へと、制度が大きく変わりました。ところがモデルとなったイギリスの第二院は貴族院です。選挙されていないから弱いんですね。第一院が言ったことには従うというのが原則です。ところが日本の参議院は選挙されているから、退けません。野党が参議院選挙で勝って、次の衆議院選挙で政権交代できると思えば、譲歩しないですよね。このような二院制に二大政党の政権交代という枠組みを持ってくると、やはり「ねじれ」るわけですね。

二大政党の政権交代という運用の方向性と、憲法が持っている制度の枠組みがマッチしていないのではないか? では参議院は何のためにあるのか?─よく考えてみれば、これは憲法ができた当初から議論されていた問題なんですね。衆議院が可決した法案を参議院が否決した場合、衆議院は3分の2で再議決するというのは、まさに憲法の条文です。ではこの規定を置いた意味は何なのだろうか。そのためにはたとえば「全国民の代表」という規定に基づいて、両院の選挙制度をどういうふうに作ったらいいのか……条文を解釈しているだけではうまく処理しきれない問題がずいぶんあって、それをどう捉えたらいいのかが、私の一貫した問題関心ということになります。

「憲法の本質とは何か」を問う改憲

ちょうど今、改憲論が出てきたことで、「憲法の本質とは何か」が改めて議論されていますし、見えてきた部分もあるように思います。たとえば焦点のひとつである、日本国憲法第10章には、最高法規という章があります。97条が人権の理念を規定していて、98条が最高法規規定、99条は公務員の憲法尊重擁護義務となっています。つまり人権を保障しているからこそこの憲法が最高法規であり、それが権力を担当する人をしばる規範だと明示されている。この3つは実は憲法の本質に関わる大事な規定で、なぜ憲法が最高法規なのか、なぜ法律によって変えられないのかという問いへの根拠を成すものだと思います。

また13条では、すべて国民は個人として尊重されると規定しています。個人の自由な意思とか意思決定を最大限尊重するということです。国は本当に必要があるときにしかそこには制限をかけられない、いわゆる個人主義の規定ですね。個人の自由を保証するという要になる条文ですので、とくに変えてはいけない条文です。

また両院の3分の2以上でないと、国会は憲法改正を発議できないという96条を、過半数にしようという案が出ています。憲法を変えるかどうかはまず提案してみて、あとは国民投票で主権者の判断に任せようというわけですが、でもよく考えてみると国民一人一人がイエスかノーかで改正案を判断するというのは、容易なことではありません。憲法というものがまずあって、その枠の中で改正をするわけですから、やはり相当にきちんと議論した上で、発議してもらわなければならないでしょう。

フランス憲法学をふりかえって

フランス憲法学は伝統的に、統治機構を中心に論じてきました。もっとも最近では、人権をめぐる議論も随分さかんですが。フランスは歴史的に政治が非常に不安定で、どうしたら制度を改善できるのか、憲法学者が考えてきたという経緯があるんです。また1958年に制定された現在の憲法は、若干の改正はあるものの、政治機構が当初と違う姿で機能している部分がある。このような問題関心から、フランス憲法学は政治学とも密接な関係を持って発達してきたんですね。今の日本の「ねじれ」や「強い参議院」という問題は、ちょうど私の見てきたフランスの問題と重なる部分なんです。

フランスに限らずアメリカなどでも、社会や政治のあり方について基本的なコンセンサスが、歴史的に積み重ねられて、形作られています。フランスであれば、1789年の人権宣言共和制の理念などが上げられます。一方、日本の場合には……ひょっとすると今の憲法が中心になるのかもしれない。日本は戦後初めて民主主義と人権を手にし、それを規定する憲法は、60年以上変わらずに残ってきました。そこで積み重ねられてきた経験のようなものが、やはりわれわれの基盤になるのではないでしょうか。

改憲の手続きが議論になっています。外国ではどうかというと、一般には、発議要件は厳しいですね。しかし、改憲のハードルが高いからといって、憲法が変えられないということではない。改正要件が世界でもっとも厳しいと言われているのはアメリカの憲法で、それでも第二次世界大戦後6回改正されています。両院の3分の2の賛成が必要で、しかも連邦制なので州の4分の3が合意しないと変わらない。アメリカはそういう厳しいハードルを越えてきているんですね。その時点の政権党だけでは変えられない条件を設けることで、複数の野党を説得して国民が納得できるような案ができたら発議する。こうした仕組みには大きな意味があるのではないでしょうか。