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未来を探るひきだしⅤ

ヒトiPS細胞、1日も早く世の中へ。

京都大学 iPS細胞研究所
中川誠人 講師

ノーベル賞受賞者の山中伸弥所長率いる京都大学iPS細胞研究所(CiRA)で、医療応用へ向けたiPS細胞培養などに取り組む、中川誠人講師を訪ねた。私たちは最初、受精卵という1つの細胞から生まれてきて、細胞分裂を繰り返しながら、ある部分は皮膚へ、また別の部分は血・心臓などへと分化していく。受精卵からつくられるES細胞胚性幹細胞)に対して、すでに分化した細胞を初期状態へリセットし、万能性を樹立させたのがiPS細胞(induced pluripotent stem cells, 人工多能性幹細胞)だ。あらゆる種類の細胞に分化できる万能性から、再生医療の応用へ大きな期待が寄せられるなか、現在の取り組みについておうかがいした。

再生医療に使えるiPS細胞をつくる

初期化がどのように起こるのか、大筋の部分は、既にわかっているんですね。ヒトの正常な組織(皮膚組織など)から樹立した線維芽細胞に4つの因子 (Oct3/4, Sox2, c-Myc, Klf4) を導入することでiPS細胞をつくることができる。これがいわゆる「ヤマナカ因子」ですね。ヤマナカ因子が細胞に入って働くことで遺伝子の発現の変化や、エピジェネティックな変化が起こります。一方、細かな点ではまだわからないことがある。たとえば体細胞からiPS細胞を樹立するときに、初期化が完全に進まないと腫瘍化する可能性があるのですが、それはなぜなのか? また遺伝子上のどの部分が活性・不活性化されるのか?など─これらを解明するには、発現した後の遺伝子が細胞内でどのように機能しているかといった細かいことも、今後明らかにしていかなければなりません。

iPS細胞をつくる技術もほぼ確立されていて、現在いくつかの方法が知られています。ポイントの1つは、できたiPS細胞の中にヤマナカ因子が残っていると、iPS細胞由来の腫瘍ができてしまい、危険度がアップしてしまうだろうという点です。僕らの方法は、エピソマルベクターという人工的な遺伝子にL-Mycなどの新ヤマナカ因子を乗せて、それを細胞の中に入れることでiPS細胞を導くというもの(沖田らが開発)。ネズミの実験ではc-Mycを含めたヤマナカ因子をレトロウイルスを使って導入し、iPS細胞を作ったときに、因子が細胞内に残ってしまい後々悪さ(腫瘍形成)をすることがわかっています。そこでc-MycをL-Mycに変えると、そういった腫瘍がほとんどできないのに加え、人工遺伝子は時間経過とともに消えてなくなるため、いっそう安全性が高まります。

今、僕らが中心的に取り組んでいるのは、再生医療に使えるiPS細胞を培養する技術の開発です。医療の現場に持って行くためには、医薬品レベルの安全性が必要であり、危険な可能性のあるものを徹底的に取り除いていかなければなりません。法的な規制をクリアすることはもちろん、施設にしても、ふつうの研究で使う実験室とはまったく違う、細胞調製施設と呼ばれる専用のクリーンルームが必要です。CiRAにはその施設があるので、そこに新たに開発した培養法を持ちこんでiPS細胞ができるか、いま一生懸命やっているところです。iPS細胞の冷凍ストックをつくり、いつでも利用可能な状態にする。なんとか1日も早くやらなければなりません。

予想以上に難関だったiPS細胞の培養技術

とはいえ、医療用のiPS細胞をつくるというのは基本的には難しく、思った通りにはならないのがふつうです。われわれが最近開発した培養の技術も、いろんな試行錯誤の連続で、思った以上に難しかった。細胞がうまく増えない時には、やはり培地に何らかの問題があることが多いため、培地の因子を1つずつ取り出して、ちょっとずつ変えていく。それを何度も何度も繰り返して、やっと1つの培養法が確立できます。

たとえば、iPS細胞を培養するにはその下敷きとなる「フィーダー細胞」というものを使いますが、それが従来はマウス由来の細胞でつくられていました。マウスの細胞を敷いておいてそこにiPS細胞を乗せると、生育を助けてくれるんですね。しかしマウス由来ですから、できれば医療用には使いたくない(使えないわけではない)。それにフィーダー細胞を別に準備しなければいけないので、手間もかかるし、意外にも誰が操作を行うかによって個人差が出ることもあります。そこでフィーダー細胞の代わりに、人工的なタンパク質を培養皿にコーティングしてそこにiPS細胞を乗せて培養するようにしました。さらにこれに合った培地も開発し、培養しやすくしました。また動物由来の材料を含んでいませんから、もちろん安全性も高められています。

実は、今回の開発で最も特徴的なのは、一般的な培養細胞を扱う施設であれば誰でもできるような、簡単な方法にした点なんです。そして今僕らが準備しているiPS細胞のストックなどができれば、いろんなところに配ることができ、それによって大幅に扱いやすくなると考えています。医療用のiPS細胞は、世界的な競争分野ですが、日本で生まれた技術ですから、ぜひ日本の多くの研究者や企業の方にもどんどんやってほしいと願っています。

次世代の医療とiPS細胞活用へ向けて

iPS細胞はやはりなんといっても、今まで治療法がなかったような領域に、新しい治療技術を確立できる可能性を拡げます。たとえばある患者さんの中に遺伝子変異があって、それが原因で発病している。その患者さんの細胞をほんの少し採ってiPS細胞をつくって、そのiPS細胞の中の遺伝子変異を治してしまう。すると発病しない正常な細胞になるので、そこから今度は神経をつくって患者さんに移植するといったことが近い将来可能になってくるでしょう。の場合、癌細胞を直接操作することで治せる可能性がありますし、患者さんのiPS細胞を使って臓器再生させるといった試みもあります。戻す時も自分の細胞ですから、臓器移植におけるマッチングのような問題もありません。

また山中先生が言われるように「これからは創薬の時代」なんですね。というのも、iPS細胞はこのように患者さんの外部で、病因・発症や投薬効果のシミュレーションを行うのに使えるからです。心臓病の患者さんなら、その方の細胞からiPS細胞つくり、心臓筋肉に分化させておいて、いろんな薬をたくさん試して最も効く薬をピンポイントで選ぶ出すことができます。個別医療といった方向性を含めて、現在とはずいぶん違う治療方法へ発達していくかもしれません。さらに新しい薬を試していくことができれば、それはやはり、iPS細胞の一番の活用の道でしょう。いろんなところで挑戦してほしいと思いますね。

それから医療への応用はもちろん重要ですが、iPS細胞がもっと基礎研究でも使えるようになるといいですね。特にこれまで日本ではES細胞を使うのにかなり規制があり、ほんの一部でしか取り扱えなかったのが、iPS細胞以降ずいぶん拡がってきたのではないでしょうか。基礎研究者の方にもっとiPS細胞を使ってもらい、細胞の機能そのものをみるとか、遺伝子改変の開発などに応用できれば、最終的には医療応用につながる可能性もあります。iPS細胞がより一般的な技術として、研究のすそ野が拡がっていけば「科学力」ももっと上がるのではないでしょうか。

僕らは今、とにかく課題を達成して、世の中に出すということに取り組んでいます。周囲を見回してみても、技術の進歩は驚くほど速いです。しかし一方でiPS細胞技術を使ったものが一般的な医療として拡がるまでには、やはり時間がかかります。どうしても5年、10年、20年という単位で進んでいくところですから、そこはちょっと惑わされずに、しっかりと、冷静に見てほしいと思いますね。