つながるコンテンツ
可能性を照らす道Ⅴ

水月湖から何を知ることができるか。

立命館大学
中川毅 教授

福井県若狭湾に臨む三方五湖のひとつで、7万年もの「年稿」を蔵する湖として、世界的にその名を知られる「水月湖(すいげつこ)」。2012年には、その年稿が地質学的年代を決定する世界標準となり、その誤差わずか170年程度の精度を持つといわれる。1993年、2006年、2012年に続いて、4度目の掘削に取り組む立命館大学 古気候学研究センターの中川毅教授を、湖岸に建つ小さな研究拠点に訪ねた。掘削開始からちょうど2週間に入り、湖上に浮かぶプラントでは、水深34メートルの下にある湖底84メートルの土を1メートルずつ削り出す作業が本稼働中。またサンプルは外気に触れると刻々と色が変わってしまうため、研究拠点では分秒を争う手作業が進められていた。周囲を山に囲まれた静寂な環境の下、緊張感みなぎる現場の空気を呼吸しつつ、中川毅教授にお話をうかがった。

土と氷と……堆積物というジャンル

基本的に季節に変化があり、季節ごとに違う性質のものが土の上に溜まっていく環境であれば、年稿は作られます。したがって、なぜ溜まるのかよりも、なぜ消えないのかを考えるほうがいいんですね。水月湖から掘り出したサンプルは強い硫化水素臭がします。水月湖は海水が浸入する汽水湖で、永遠に湖面にあがってこない重い水があり、いつまでも淀んで空気に触れないため、湖底付近が酸欠状態になっています。したがって生物が棲息できないので湖底の泥がかき回されないというのが、水月湖の年稿が特別な理由の1つめなんです。もう1つは少しずつでも土が堆積していけば、長い年月の間にいずれ埋まってしまうはずですよね?─ところが、水月湖は断層運動によって湖底が沈み込んでおり、埋まる速度よりも沈む速度のほうが速い。7万年ぶんも連続的にたまっている年稿は、世界にも類例がありません。

2006年の年稿データは、世界放射性炭素会議総会で世界標準としても認められ、既に公開されています。年代を決定する「ものさし」は、もうみんなが活用できる段階に入っているんですね。今回の掘削でもさまざまな共同研究が組まれており、堆積土に含まれる磁気の向きと強さを神戸大学で、火山灰を英国Oxford大学で分析することになっています。さらに京都大学が、洪水のような災害の頻度を分析することが予定されています。たとえば年稿の縞の中に見られる白っぽい部分は、おそらくこの時代に洪水が起こったと考えられるのですが、そういったことがいっそう精密に解明されるはずです。

世界的に見ると、このような堆積物の調査では、水月湖のような土のほか氷も重要です。これはグリーンランドなどで盛んであり、氷床コアは僕にとっては永遠のライバルみたいなものなんですね(笑)。ただ氷はほぼ水しか入っていないのに対して、土は周囲に木があったり人の暮らしがあったりして、化石プランクトン鉱物など多角的に分析ができ、環境復元に役立ちます。また氷は、放射性炭素年代を測ることができないので、空間的な複数の地点を比較する指標としては、水月湖のほうがはるかに波及効果が大きいと言えるでしょう。

地球温暖化は、どういう順序で起こるのか?

しかし、実は、私が本当に興味を持っているのは、地球気候変動とそのメカニズムなんです。そこでまずは水月湖でいつ何があったのか、昔の気候や自然災害を復元したい。次に水月湖と他の地点を比較することで、地球上のどこでどういう変化が起き、時間的にどんなスピードで、どこへ波及していったのか、そのメカニズムを考えようとしています。たとえば今問題になっている温暖化と関連して、氷河期は世界的にどう終わったのか?─比べてみたらグリーンランドと水月湖で、完全に同時であることがわかりました。そうなると全世界ががらりと一瞬で変化してしまうような原因を考えなければならない、ということになりますね。

また現在われわれが掘削している土の磁気の向きと強さがわかってくると、太陽活動と気候変動がどう関係しているのかを解明することにつながってきます。地球の周りには磁場があって、その磁場が地球に降り注ぐ放射線を防いでいる。磁場が弱くなると地球に降り注ぐ放射線が増え、放射性同位元素の量が増えますね。このような地磁気の変化による気候への影響と、太陽の変化による気候への影響は、メカニズムが非常に似ているんです。たとえば今から約41,000年前に地磁気が顕著に弱くなった時代があることが知られています。そこで、その時代に水月湖周辺でいったい何が起きていたのかが解明されれば、太陽活動と気候変動の関係解明への大きな一歩となるのです。

また、Oxford大学で分析することになっている火山灰もたいへん重要です。火山灰は広域に降り注ぐので、水月湖と他の地点に同じ火山灰があれば、2つの層が同時に起こったものであることがわかります。つまり火山灰で年代をつなぐことで、別の地点で水月湖の精密な年代目盛りを使うことができる。このようにして同じ層を持つ地点を増やし、なるべく広範囲に対比をとって年代をつなぎあわせていこうというわけです。たとえば海の中の火山灰を水月湖とつなぎ、海の堆積物によって気候変動を復元し、水月湖で復元された気候変動と比べる。あるいはヨーロッパで堆積物の放射性炭素年代を測り、放射性炭素年代を通じて水月湖とつなぎ、どういうタイミングでどういう変化が起こっているかを考える。このようにしてより大きな、地球規模の気候変動を語ることができるようになるはずです。

花粉から過去の気候変動を突き止める

ところでこれらはみんな共同研究であって、私自身が探しているのは花粉なんです。花粉分析というと、少し前までは松が生えていたとか、梅が生えていたといった話だったのが、コンピュータの発達によって急速に研究手法が整備されてきました。私たちのグループは2002年頃から、地表に積もる「表層花粉」を日本中から集め、そこにどんな種類の花粉がどれだけ含まれているかを調べてデータベースを作った。またそれを基に、過去の植生気温降水量などを復元するソフトウェアを開発しました。そもそも気候とは、ケッペン(1846-1940)の昔から、気温と降水量とで定義されており、また気候区分は植生帯によって決められています。従ってその本来の意味で、植生、気温、降水量がわかることこそ、気候復元だと言うことができるのです。

もちろんこのソフトウェアは、水月湖のデータにも応用できます。たとえば水月湖の1万年前の土にふくまれている花粉が、今の日本のどこの花粉組成に似ているかといった対比を行って、たとえば長野県の山の上に似ている、というように画面の地図上に表示させることができます。われわれは現在の長野県の山の上の年平均気温が何度か、夏の降水量は何ミリかを知っていますから、このソフトを使えば過去における実際の気温や降水量の値を出すことができるのです。もちろんこれまでも、炭素同位体によって地球が暖かくなった、寒くなったといった変動にを語ることができましたが、相対的なものでしかなかった。また海の調査では水温については言えるけれども、気温はわかりません。年稿というタテのものさしを使って、地球のさまざまな地点がヨコにつながり、比較することによって見えてくる大きなストーリーを語りたい。さらに花粉分析によって過去の気候─つまりそれが私の専門である「古気候学」なのですが─を具体的に明らかにしたい。これまでの研究は言わばその下準備だったんですね(笑)。