file03:パーソナルゲノム時代

ガタカ(GATTACA, 1997, アメリカ)』という、個人のゲノム情報が社会的なIDのように使われている近未来社会を描いた、われわれの分野ではちょっと有名な映画があるんです。

映画というフィクションの中では、恋人の髪の毛をとってきて解読サービスへ持っていくと、その場でゲノムを解読してくれて、どんな病気のリスクがあり、寿命予測は何歳といったデータがもらえる。子供を産もうという時には、8細胞期ぐらいの受精卵を用意しておいて、細胞をほんの少し採取してゲノムを調べ、好みの組み合わせを選んで母体に戻す─そんな社会が描かれています。

しかしすべてが作り事かというと、ある部分では今すでに実現している技術も含まれており、1991年に始まったヒトゲノムの解読から、いつの間にか現実にも「パーソナルゲノム時代」がやってきているように僕は感じています。

ヒトゲノムは約30億塩基対のATGC(A:アデニン、T:チミン、G:グアニン、C:シトシン)の並びで、これがわれわれの設計図になっていて、脳のつくりも決めており、性格などにも影響を及ぼしています。この並びを見ていくと、ヒトという種に共通の部分がほとんどですが、1,000塩基対に1個ぐらいの割合で、個人によって異なるスポットがあり、これをスニップ(SNPs, Single Nucleotide Polymorphisms)といいます。このスニップが日本人の場合だいたい300万種類ある。このうちの100万スニップのタイピングが5万円以下(499ドル)でできる個人向け遺伝子解析サービスも米国ですでに開始されています。

自分がどんなタイプの遺伝子を持っているかがわかるというのは、僕自身にとってもたぶんみなさんの多くにとっても、とても興味を惹かれることだと思うんです。しかもスニップには世界共通のID番号が付けられており、スニップと表現型の関係について調べた科学的な論文が毎日のように出てきます。では、われわれ人類はこの情報から何をどう読み取り、さらにどのような目的でいかに使っていくのか─これは非常に大きな問題だと言えます。

たとえばあるスニップを調べたら、そのスニップのあるタイプを持つ100人の人々は、別のタイプの100人よりも平均の知能指数が高かった、というデータがあったとします。これはまず、あくまでも100人ずつの平均でそういう違いがあるというだけです。マウスの研究からもある脳の機能にはたくさんの遺伝子が影響していることが推測できます。人の知能に関係する遺伝子は非常にたくさんあるはずですから、知能について1つだけのスニップから何か結論めいたものを出すことはできません。このようにデータは科学的に取り扱う必要があり、またデータの解釈については現時点での科学によってもまだわかっていないことが多いという点に、まずは注意が必要です。

もう一つは、今のところ、生体情報には法的規制がほとんどないという問題です。例えば他人の髪の毛や体液などの生体サンプルを無断でとってきて、そこから遺伝子を調べても法的にはなんの問題もないはずです。私たちはふだん、究極の個人情報であるゲノム情報をまきちらしつつ生活しているわけですが、それについての規制が整備されていない。スニップスのタイピングを含めた遺伝子解析は、ゲノムカウンセリングやゲノム性格うらない、ゲノム相性診断などいくらでも新しいサービスが思いつきそうですが、個人の生体情報の取り扱いとそれを利用したビジネスについては、現在、日本では取り締まる法がほとんど存在しない状況にあるということです。今後、一般の国民も含めて十分な議論が行われ、健全で有用なビジネスが阻害されないレベルで、法的な整備がなされるべきだと思います。

TEXT : Tsuyoshi Miyakawa, Noriko Arai, Rue Ikeya  DATE : 2010/11/30