マルシャル・ゲルー(Martial Gueroult, 1891 - 1976)は、スピノザ哲学は近代の合理主義哲学の完成形だと言っていますが、僕もまったくそう思います。スピノザはスーパー合理主義なんですよ。
たとえばいわゆる合理主義が理性を駆使してルールを作り、そして、「みんながこのルールに従わなければいけない」と言う。するとここには、「なぜ従わねばならないのか、その理由は分かっても分からなくても、とにかく従え」という仕方で〝信仰〟のモーメントが入ってきてしまう。
「モーセの十戒」を思い浮かべるとわかりやすいと思うのですが、「汝、殺すなかれ」というような仕方で善悪の内容をあらかじめ定めるタイプの思考は、どうしても人に従うことを強います。僕はデカルトという哲学者も大好きですけれど、デカルトの合理主義には、従うという契機が残っているように思います。ところが、スピノザの哲学は、従うという契機を徹底的に排除するんですね。そういう意味でスーパー合理主義なんです。
スピノザは本来あるべき人間の型のようなものを認めません。彼にとって、善いこととは活動能力が上昇することであり、悪いこととは活動能力が低下することなんですが、どうしたらそれが上昇したり低下したりするかって、人によって、場面によって異なる。だからあらかじめこう生きればいいという型を定められないのです。それを認めた上で、具体的な人と場面についてよい生き方を考えるというのがスピノザの考え方ですね。
近代はある型を定めてそれを強制するということをやってきた。この場合、その型にどうしてもはまらない人は排除されることになる。スピノザの考え方はやはり近代を相対化する上で大変重要だと思います。