file 01:「おせち」の中身

大学に講義へ行った時に、とある学生さんが 「先生の本と違って、僕のうちは九州の山の農家なんで、おせちをちゃんと作るんですよ」と言うんです。
「まぁ、どんなの作るんですか?」
と訊くと、
「ばあちゃんが黒豆煮ます」
「他は?」
「他?」
「きんとんとか、なますとか、伊達巻きとか……」
「……それは、どのようなものですか?」

学生さんにひとつひとつを説明すると、どれも「見たことないですね」「食べたことないですね」と真顔で言う。最後に伊達巻きを説明すると
「卵焼きと違いますか?」
もうこれはいかんと思って
「あなたの家のおせちは、黒豆のほかにはどんなものがあるの?」
と訊いたら、「雑煮」と言う。

その是非は置いて、もしアンケートをとったら彼のうちは「おせちをきちんと手作りする家」ということになってしまうでしょう。でも、どうやらきんとんもなますも伊達巻きも、彼の記憶では1回も作っていない。もしかしたら都会育ちの子供のほうが、食べたことはなくても、売っているのを見たことがあったかもしれません。このように「おせち」という同じ言葉さえ、世代や家庭が違うと、まったく違う内容になってきているんです。変化の時代に、言葉だけで尋ねるアンケートは怖いなと思います。

人はよく、私のことを食事や食品に関心があって調査をし、間違った食事を正したり、手作りを推奨したり、伝統食の継承を語りたい人なのだろうと誤解されているようです。しかし、私の関心は、今の日本人や日本の家族の変容とその背景を明らかにすることで、食卓はそのための「定点観測の場」でしかないのです。