「年越し派遣村」”村長”をはじめ、社会運動家として知られる湯浅誠氏。これまでの活動を維持しつつ、2014年度からは法政大学現代福祉学部で、週2回の授業を通じて学生の「教育」に取り組む。「まだ半年のつきあい」とは言うものの、学生たちの間では「一風変わった先生の一風変わった授業」と、すでに話題を集めているようだ。「人気の授業」はどんな授業なのか?──法政大学多摩キャンパス(東京都町田市)に、湯浅誠教授を訪ねた。
私も45歳になりましたので、もう若者という存在を自分のことのように語ることはできません(笑)。そんな意味で、今の若い人たちの感覚とか、一般的な日本の若者の考えとしてどうなのか、半分はフィールドワークみたいなつもりで、このポジションをお引き受けしたんです。まだ半年のつきあいですけれども、彼らはたとえばNPOに集まってくるボランティアの学生たちよりは、世論一般に近い。そんな集団にどうメッセージを届けるかというのは、自分にとって必要な訓練だと考えています。これまではテレビやラジオといった舞台でやってきましたが、授業ならば直接反応が見られます。
メッセージを届けるにはどうすればいいか?──それは「対人関係構築能力」を鍛えることなんじゃないかと思っています。コミュニケーションのモードには、「会話」「議論」「対話」の3つがある──会話とは基本的に、当たり障りのない、朝学校へ行く途中で偶然会った友達と話すようなものを指します。議論は相手を言い負かしたり、概念を突き詰めたりするもの。対話というのは、もう少しお互いの内省を促し合ったり、気づきを与え合ったりするようなものとします。1日1万語喋るとして、あなたはだいたいどのくらいの割合で話しますか?──学生たちに自己測定してもらうと、ほとんどが会話だという答えが返ってきます。
しかしどんな時も会話モードしかないのでは、服を一着しか持っていないようなもので、いつでも同じ服を着ていくしかない。そういう意味では、議論や対話モードも、必要なときには着れるように衣装箪笥に入れておこうね、という話をしています。コミュニケーションもデザインとコーディネートなので、服が少ししかなかったら淋しいように、コミュニケーションのモードもたくさんなければ淋しいし、たくさん持っていればコーディネートも容易になる。その力、すなわち「対人関係構築能力」を鍛えていくのが、これから人として生きていくのに必要な力なのではないでしょうか。
今年の前期は「社会問題論」という授業で、学生たちと「遠く感じる社会問題をいかに半径5メートル以内から考え直せるか」に取り組みました。そこに「対人関係構築能力」の訓練を組み込んだかたちの授業ですね。いかに相手のリアリティに働きかけ、相手の目線に合わせて、メッセージを伝えることができるかをトレーニングする。実際の社会でも、仕事で苦労することの7割ぐらいは人間関係ですから(笑)、そういう意味では「対人関係構築能力」というのは、一生ついて回るスキルだと言えるでしょう。その力を培う手伝いができるなら、それが今、私が一番やりたいことなんです。
学生たちに限りませんが、私たちは自分で場の空気をコントロールしたり、マネージしたりといった経験が少ないんですね。よく言われるように、その場の空気に自分を合わせている。その場にある空気を壊して、こういうことをやらないかと何か提案したら、みんなが引いてしまうかもしれない……はしごを外される結果になるのではないかと心配している感じがします。投げても受け止めてくれる人がいないんじゃないか、と。
社会問題に関心がないのも、問題が大き過ぎて、遠過ぎて、漠然とし過ぎていて、自分では何もできないだろうという無力感みたいなものがある。そして、その根っこにあるのは、他者は変えられないという意識なんですね。結局他人に働きかけても、応えてくれないということの延長線上に社会の動かなさみたいな感覚が横たわっている……。
そんな中で何とか社会問題を見出してもらうために、授業ではまずそれぞれの人生を振り返って、今までどんなことがあったか、いろいろ思い出してもらいます。すると父親が祖母の介護でたいへんだとか、バイト先の店長が働きすぎで死にそうだとか、いろんな話が出てきます。その延長線上に介護の問題、労働の問題といった社会問題があるんだというふうにブリッジする。そうやって見つけたテーマに対して、自分なりにとりあえずこんなことがやれるんじゃないかという解決策を出してもらう。次にやっぱりそれを他人に呼びかけて、仲間作りをしてもらう。何か思いついたら「いいと思わない?」と言って広げていくのは、すべての活動がそうだし、仕事だってもちろんそうですよね。
目の前にいる3、4人にうまく話しかけたり、いつもの友達に共感を持ってもらったりするにはどうしたらいいか。まず話し方次第で相手の受け取り方がいかに違うか、私が何パターンか話し分けてみせます。次に学生同士でお互いに話してもらって印象を比べてみる。するとたとえば、話し手が自分の体験を入れて話すとすごく反応がいいんですね。──そうなんだ、問題の中に自分が入っていると、聞く人はその人を通じて問題を見るようになる、そうすることで共感も生まれるんだということがわかってくるわけです。かつては大学の中には学生運動という名のスキル鍛錬の場があって、それがいいものだったかどうかはともかく、知らず知らずにやり方を学んだのだろうと思います。しかし今、それに代わる新しいプロジェクト・マネージメントの発想や体験する機会などがあまり普及していないように見えますね。
実は私は最初の授業で「私は教えません」って宣言しちゃったんです(笑)。「教える」は送り手の目線であり、「学ぶ」は受け手の目線なので、私はあくまで受け手の目線でやるんだという話をした。私の授業では、なるべく学生同士で実際に話し合ったりして、体験的にスキルを獲得してもらう。知識注入型の教育ももちろん必要ですが、学生に訊く限りでは私みたいな授業はあまりないらしいんですね。そういうことならば、私はこの方法にこだわったほうがいいかなと思っていて、しばらくは続けてみるつもりです。