大量の情報を集約し高速で処理して活用するビッグデータ時代。膨大な情報を駆使して、経済や社会の活性化につなげようとする動きが活発だ。しかし、ここには個人の尊厳に関する重大なリスクがあることを忘れてはならない。ビッグデータの活用がもたらす思いもよらないリスクについて、憲法学を専門とする山本龍彦さんに聞いた。
◎「プロファイリング」で何が起こっているのか?
インターネットでのショッピングがもはや日常の一部となっている人も少なくないだろう。インターネットを通じて商品購入を行った世帯は2015年には27.1%となり、全世帯の1/4を超えている。2002年の5.3%からほぼ直線的に増加の一途をたどる。*1
インターネットで商品を検索・購入すると、検索画面上に絶えず関連商品のバナー広告が表示されるようになる。賃貸住宅を検索すると、それ以降は地域や価格帯に焦点が絞られた情報が提供され、スポーツ用品なら関連の競技やアイテムを中心とした内容、宿泊した経験のあるホテルの系列店舗もたびたび目にするといった具合である。その代表例とも言えるのは、アマゾンのレコメンド機能だろう。書籍購入の履歴から、関心のある分野を特定し、関連した商品を「おすすめ」として表示する。これらは購買や閲覧の履歴からその人の好みなどを自動処理によって割り出すターゲティング広告の手法で、効率よく広告が打てる。確かに便利さは感じるが、過去に発した自分の行動(ただのワンクリック)がどのように扱われ利用されているのか、不気味さもぬぐえない。
このような、ビッグデータ を活用したプロファイリングに関する社会的影響や法整備の必要性などについての課題を指摘しているのが、慶應義塾大学の山本龍彦教授である。プロファイリングというと、警察が犯人の断片的な情報を集め犯人像を浮かび上がらせていくというドラマのような光景をイメージしそうだが、ここでは個人に関する情報が蓄積されたデータベースを解析することによって、その人の人物像を特定・評価・判断することを指す。
「商品のおすすめだけであれば、自分にとって効率のよい情報提供です。しかし、ここにはプライバシーや人権、個人の尊厳、さらには民主主義社会を脅かす問題が潜んでいます」と、便利なだけではすまされない重要な問題を指摘する。「たとえば、女性はうつ状態になると化粧品を買いたくなるということがビッグデータの解析で分かっています。ある人の閲覧履歴や位置情報からうつ状態にある可能性が高いと判断し、タイミングよく化粧品の広告を打つと、購買率が高くなります」。”うつ”というきわめて個人的でセンシティブな情報を営業に利用することが問題であるばかりか、そのような状態での購買行動は果たして本人の意思と言えるのか? という購買契約の有効性といった問題にも発展する。
本人が発した複数の断片的な情報。それらを集めて、架空の、しかし限りなく事実に近い「本人像」を作り上げてしまうプロファイリング。その人がどこの店に行き、どのくらい滞留し、何を買うのか? それは企業にとってのどから手が出るほど欲しい情報だが、そのことがさらに大きな問題に発展する可能性もあると山本さんは考えている。就職活動の結果やアルバイトの履歴、就労期間などがプロファイリングされることで、「雇用するにふさわしくない人物」と推論される可能性がある。すると、企業の人材採用の可否が、こうしたデータによって決定されることも、いまや架空の出来事とは言えない。たとえその人が努力して、自らの弱点を克服しスキルを向上していても、そのことは反映されず、本人に反論の機会も与えられないなど、人生に関わる問題に発展しても何ら不思議はない。病歴や宗教、政治的信条に至るまで、ビッグデータを用いれば推定が可能となってしまう。
*1 総務省 家計消費状況調査年報(平成27年)結果の概況
◎リアル空間で起こることとの圧倒的な違い
人の行動や言動から「ある人間像」を浮かび上がらせるということは、ビッグデータを用いなくても従来から行っていたことではないかと反論することもできるが、そこに決定的な違いはあるのだろうか?
「もちろん、リアル空間で行ってきたことと変わりないではないか、という主張もあります。GPSで人を追跡することは問題ですが、従来の尾行には令状は必要ありません。住基ネットが導入されるときにも、住民基本台帳は基本的にだれもが閲覧できるものだった、何が問題なのか? という推進論もありました。しかし私は、リアル空間と同じと認定することはできないと考えています」。リアルな空間との共通性や酷似性を指摘されながらも、ビッグデータによる問題の大きさは、リアル空間と条件を異にするという主張にはいくつかの理由がある。
まず、「データ量」の圧倒的な違いである。ビッグデータ社会における現代的プロファイリングは、使用されるデータの量において、古典的なそれとはケタ違いだ。そして「自動性」。古典的には複数のデータから人間が経験則や自らの勘を頼りに対象者の個人的側面を予測することも多かったが、データの処理、予測を自動的に行い、人の関与を必要としない。自動であるがゆえに扱うデータ量と処理速度を飛躍的に大きくする。それでいて、科学的な信憑性が高く客観性がある情報として扱われる。仮に対象者の実態とデータに食い違いがあったとしても、個人が「それは本当の自分ではない」と反論したり結果を否定したりすることはとてつもなく困難なことである。
さらにやっかいなのは、「意外性」である。世界的な規模で収集されプールされるデータ。そこからは、これまでは想像もつかなかった関連性が表出し、用いられる可能性がある。「ある人が妊娠したか否かは、これまでは妊娠検査薬の購入履歴や産婦人科の受診記録など、妊娠と関連のある事象が選択されました。しかし、プロファイリングを使えば、無香料のローションや特定のサプリメント、大きなバッグの購入といった一見妊娠とは気づかないような品物の組み合わせから、顧客が置かれた状況を知ることができてしまいます」。その項目は広範にわたり、しかも細目にまで及ぶ。上記の妊娠の例では、出産予定日までも予測していたという。
総務省の「IoT/ビッグデータ時代に向けた新たな情報通信政策の在り方について」の中間答申では、さまざまなテクノロジーがインターネットに接続される結果、AI等による膨大なデータの収集・分析が可能になるとした上で、新たなサービスにより、投資や雇用が生まれ人と地域が活性化し、「データ」「人材」「インフラ資源」の3分野で世界一の社会を目指すとしている。国や経済界によりビッグデータの活用による経済の活性化や雇用創出などが推進される一方で、ビッグデータだからこそ生まれるリスクに関する議論や、世論の醸成が追いついていないことを山本さんは問題にしているのである。
使用されるデータの量、高度な自動処理によって、瞬時に情報が生み出されしかも客観性が高い「本人像」がつくられる。職歴や病歴まで明らかになり、就職試験の際にそれが活用される可能性もある。保険の加入や銀行のローンを借り入れる際にも活用されたとしたら、見えない力で差別や排除が行われる社会になることも、あながち杞憂とは言えないだろう。
◎前時代的な社会に戻るのか? 民主主義を蝕む可能性
さらに山本さんは、個人の不利益に留まらない、現代社会の大きな危機を指摘する。「この問題は、近代法が前提としてきた枠組みそのものが揺さぶられる可能性があると考えています」。言い換えれば、個人の尊厳や憲法の基本的な概念が脅かされるという、憲法学者としての危機感を語った。
近代法の枠組みとは、身分制度を打ち壊し、個人を尊重することを基本理念とする。つまり個人が身分や家柄などの「属性」から判断されるのではなく、個人ひとりひとりの特性によって認識されることである。家柄、身分、出身地、職業など属する集団の性格に依拠して概括的に捉えられ、それが社会におけるその人の価値として扱われるという前近代的な社会と酷似した環境を生み出そうとしている、と山本さんは見るのである。
個人情報の保護というと、とかく第三者提供や情報漏洩などの古典的問題を中心と考えられがちだ。しかしこれは、プロファイリングの影響力とそのリスクを極端に矮小化して捉えていると山本さんは考えている。憲法で保障された個人の尊厳や基本的人権の阻害にもつながりうるプロファイリング。多くの人が気づかないうちに取り返しのつかない事態になっているかもしれない。便利で効率的であること、そしてつねに自分の関心に近い情報に囲まれることは楽と感じるかもしれないが、そこに自分達の社会をも脅かしかねない大きな問題があることを、もっと知り、そして議論していくときにきていると言えるのではないだろうか。プロファイリングこそ個人情報保護法の「本丸」であると山本さんは結んだ。