つながるコンテンツ;智のフィールドを拓く201705

英語は「自分たちのことば」になりえるか?
アイルランド人の言語意識を探る

明海大学

嶋田珠巳 教授

◎アイルランド人の98%は、日常的にアイルランド語を話さない

アイルランドは、アイルランド島の約80%を占める共和国である。独立戦争を経て1949年に英国からの独立を果たしたが、北部の20%は英国への帰属を主張するプロテスタント系とアイルランドへの帰属を主張するカトリック系との間の激しい対立を経て英国領に残り、80%の地域がアイルランド共和国として独立国となった。
ところで、アイルランドではどんな言語が使われているのだろう。アイルランドは英語とは異なるケルト文化という文化圏にあり、アイルランド語という土地固有の言葉がある。しかし、明海大学でアイルランドの言語に関する研究を続けている嶋田珠巳さんは、「人口の98%が実質的な母語として英語で生活しているのです」と言う。なぜアイルランド語という国の言葉がありながら、アイルランドの人々は主たるコミュニケーション言語として英語を使っているのだろうか。

「これがアイルランド島の地図です。西側にどころどころ濃いグレーで塗られた部分がありますね。ここが現在もアイルランド語が話されている『ゲールタハト』と呼ばれる地域です。およそ10万人が居住しています」。
――それ以外の地域では?
「実は、それ以外のほとんどの地域の人々にとって、アイルランド語は日常生活で話す言語ではなく学校で学ぶ言語になってしまっているのです」。

アイルランドと英語の関係。その背景には、アイルランドの歴史が深く関わっている。12世紀ごろから始まったノルマン人侵攻などが、長い時間をかけて英語をこの地に根付かせることになった。大きな圧力となったのは、1801年の英国によるアイルランド併合で、英国統治下において急激に英語が浸透していった。独立戦争を経て北アイルランドを除く地域が英連邦を離脱し独立国となるまで、約150年間、英国による支配が続いた。アイルランドを侵略する勢力は東の方から入ってきた。島の南東の地域は肥沃で農業の生産性も比較的高い。地理的にも、経済的にも東側から英語支配が広がり、結果的に西の端の地域にアイルランド語が残ったかっこうだ。支配者の言語に移行せざるを得なかったアイルランドの人びと、独立後のアイルランド語保護政策、そしてその現場である学校の葛藤など、この地図が物語るものは多い。嶋田さんは、言語交替のさらに奥底にある人びとの意識に迫ろうとしている。

◎英語を押しつけられたのか? 自ら「自分たちのことば」を手放したのか?

ある言語集団が使用する言語を別の言語に変える「言語交替」は、歴史の中でしばしば起こっている。ガリア地方におけるケルト語からラテン語への交替、インド北部におけるドラヴィダ語を含む土着の諸言語からインド・アーリア語への交替は、比較的大規模なものであったが、小さなコミュニティでの言語交替は珍しいことではない。言語交替の要因には、文化的・社会的地位の圧倒的な優位性や、リンガフランカ(*1)の確立による少数言語の使用衰退などが挙げられる。アイルランドの場合も、侵略という圧倒的な力の差によって言語交替がもたらされたわけだが、「国」を単位として起こっていることや比較的最近起こったという点で、他の例とは一線を画していると嶋田さんは考えている。研究という観点からは、比較的最近の出来事であるために同時代的視点のもとにその過程を追うことができるという特徴があることも、貴重なものである。

「英語を話すアイルランド人にインタビューすると、自分たちの言葉なのにアイルランド語を話せないということを、ある種の恥ずかしさや後ろめたさとともに語る人たちに多く出会います」。アンケート調査でも「アイデンティティを失うことは悲しいこと」「残念である」「悲しいことだ」という気持ちが吐露されるという。
――では、英語を話しているという現実に対して否定的にとらえているのでしょうか?
「いえ、そうとばかりも言えないのです。『英語は世界で使える言語。それを話せることは、長い目で見れば利益がある』『アイルランドの経済と未来を考えれば、英語をもっていることは有利』など、日常的に英語を使う環境のメリットも感じている人もいます。そして、民族の言葉がなくなるのは悲しいことだが英語を話すことは幸運だという、入り混じった感情を示す人も、以前調査したときには否定的な見方をする人と同じくらいいました。一筋縄ではいかない、人々の意識が見えてくるのです」。アイルランド語にとって替わったのが、国際的に認知され強大な力を持つ英語であったということも、この地域の言語交替を考えるのには重要な要素である。実際、「ケルトの虎」と呼ばれる1995年から2007年ごろのアイルランドの急激な経済成長には、英語が大きく影響したといわれている。英語を話せる労働力があったことで外国からの直接投資を受けやすいためだ。侵略と支配という強者の論理による変化といった単純なものではなく、英語とアイルランド語の関係は人の意識や生活まで深く入り込んでいる。

嶋田さんは、英国支配がじわじわと国を覆っていく、まさにその時代に生きていた人たちの状況にも目を向けている。もともと話されていたA言語からB言語に交替が起こるときに考えられるプロセスを次のように説明している。

  • ①B言語の導入によって、A言語の領域にB言語が入り込む。
  • ②最初のうちは、A言語とB言語の使用領域は別々に保たれる。
  • ③両言語のバイリンガルが増加し、B言語の役割が拡大する。
  • ④B言語が社会的に上位な活動領域で使われ威信のある言語と認められるにつれ、A言語とB言語の使用領域がぼやけてくる。
  • ⑤B言語がA言語を押しのける。

英語の使用領域が拡大していく中で、「経済や暮らし、子どもの将来を考えれば自ずと英語に移行してしまうということがあります。生活に直結する差し迫った英語習得の動機があったのです」。植民地支配下においては、支配者の言葉を押し付けられる。社会的に優位な職業に就かせたいと思えば、親は必死で子どもに英語を習得させようとする。さらに、「その過程において、B言語すなわち英語を話す方が優位だとか、価値が高いといった意識もあったのではないかと思います」と、嶋田さんは、当時の人びとの気持ちを推し量る。

――そうだとしたら、アイルランド人は、英語を積極的に選んだのでしょうか? 
「アイルランド語を引き継がないということを『自らの意思で選んだ』といっては言い過ぎでしょう。アイルランド人は自ら言語交替キャンペーンを起こしたわけでも、英語を公用語にするとか常用語にすることの国民投票をしたわけでもないのですから。植民地支配という過酷な環境があって、そこに様々な要因がかぶさってくる。そして、言語が傾くときは最終的には人の行動。親が子供に自分の言語を継承させるかどうかが、鍵を握っています。当時の人びとの日々の少しずつの行動が言語交替に力を貸したかもしれないという視点は重要だと思います」。「積極的か否か、意図的か否かにかかわらず、人々の行動の積み重ね、さらに集団としての広がりは、言語を替えるほどの帰結をもたらすことがある」という。言語交替を理解するためには、人びとの気持ちのありようについても考えることが必要だと嶋田さんは考えている。

*1 リンガフランカ:共通語、世界語。母語が異なる人びとの間で意思伝達のために使われる言語。

◎会話の中に潜む、自分たちのことばへの想い

極端に話者が少なくなってしまったアイルランド語であるが、現在、国を挙げてアイルランド語を保護する政策が進められている。公務員になるにはアイルランド語が話せることは必須で、習得は高く評価される。教員は、アイルランド語で授業ができると高い給料を得られ、高等学校修了試験でそれぞれの科目をアイルランド語の問題文で解けば得点が10%加算されるという取り組みまである。ゲールタハトでは、学校の授業はアイルランド語で行い、アイルランド語による弁論大会や演劇の全国大会も行われる。

「多くのアイルランド人にとって、英語を話す合理性と民族的アイデンティティに関わるアイルランド語との間で揺れ動く気持ちは複雑で、さまざまな葛藤を抱えています」。英語を便利だと思いながらも、アイルランド語こそがネイティブの言語と強く思っている人も多い。首都ダブリンに次ぐ大都市、コークでのインタビューでは「自分達は話さないけど田舎の方(ゲールタハト)ではみな話しているから大丈夫。アイルランド語は生きているんだよ」という声を多く聞く。自分は話していないにもかかわらず、ゲールタハトに大きな期待を寄せていることも垣間見える。

嶋田さんが長く研究しているのは、「アイルランド英語」である。アイルランドの人たちに「自分の言葉を表すのに、英語とアイルランド語ではどちらがふさわしいか?」と聞くと、約57%近の人が「アイルランド英語」と答え、「英語」と答えているのは約33%に留まる。「豊かになった英語」という回答もあった。アイルランド語の語順や思考回路などは英語とはかなり異なるうえ、アイルランド英語にはアイルランド語の語順や文法が反映されている言い回しも多い。言ってみれば「アイルランド語っぽい英語」だ。アイルランドの文化や価値観が反映されて成り立っている部分がある。例えば、英語では「喉が渇いた」を、「I’m thirsty」と言うが、アイルランド人は同じ意味を、「A thirst came on me=喉の渇きが私に来る」と表現することがあるという。「アイルランド的な世界の見方や捉え方が残っていることのあらわれではないかと思います」。嶋田さんの目には、アイルランド英語を話す人々には「正しい英語ではない」というある種の劣等感と、今話している英語の中にアイルランドらしさを認めるという誇りが共存しているようだと映る。それは、日本における方言に対する誇りと劣等感の共存にも似ているものがある。

「調査をする中でアイルランドの人たちが持つ文化や人びとの暮らしの文脈が見えてくると、単に言語形式の連関だけではない、人びとの言葉や意識の交換があることがわかります。文法知識はルール化された形式と意味の連関ですが、そこにある話者の意識や価値観も反映されるはずです」。アイルランド語、英語、そしてアイルランド英語。歴史に翻弄されつつも生きてきた人びとのなかに息づいている意識。世界に例を見ない大規模な言語の入れ替えを経験したアイルランドから見えてくるものはまだまだたくさんある。

アイルランドのことを語りながら日本の話を重ね、大阪弁や東北の言葉との関連が飛び出す。たまたま特殊な状況に置かれたアイルランドを題材に、言語研究の普遍的なテーマに迫ろうとする嶋田さんは、「言語変化を語るのであれば、社会の動きや人びとのコミュニケーション言語の全体を見ないといけません。人びとの関わりや意識を介した言葉の受け渡し、ミクロのところをしっかりと見てマクロにどう影響するのかを考える。そこが面白いと感じています」と結んだ。