file 03:数学は考え方のタネである

僕はここしばらく衝突する現象に関心を持っています。原子・分子の衝突、車の衝突から人間関係や国家間の衝突まで、世の中ぶつかってばかりです。これら衝突のプロセスやその結果がどのようにコントロールされているのか興味があります。たとえていうなら複雑な地形の上に乗っている水滴の動きを考えると、ぶつかって合体したり、分裂したり、染みこんで消えてしまったりと、複雑で次どうなるのかなかなかわからない。けれどもよく考えれば、水滴の動きを制御しているのは、その下にある地形ですよね。地形の構造は不変なのだから、地形というものがちゃんとわかれば、水滴の動きも自然とわかる。面白いのはこのような傾斜地形に「安定な場所」というのはほとんどないということです。不安定なところから別の不安定なところへと経巡っているわけで、「安定」というのはかりそめの姿とも言えます。人間関係でも深くつきあえば、どこかでぶつかります。そのとき極めて不安定な心理状態になりますが、そこを両者で乗り越えれば、新たな境地が開けるのではないでしょうか。難しいですが「うつろひゆく」状態を楽しむという余裕があれば、いろんな可能性も広がるように思います。表層的に複雑なところを記述しようとするとたいへんだけれども、それを裏で動かしている機構を理解することで、表層の複雑さはある程度わかるんじゃないか、というのが基本姿勢と思っています。

数学的な考え方を理解する本として、やや古いのですが『現代数学概説〈1〉(現代数学1)』をお勧めします。

彌永 昌吉, 小平 邦彦
岩波書店   1961年7月   ISBN-13: 978-4000052900


大学に入って初めてきちっと読んだ本です。いろいろなことが書いてあり、概説を理解するために別の本を読むという感じでしたが、当時、授業が全くなかったので、数学的訓練の練習になると同時にいろいろな分野への入り口となりました。

ところで、絵画作品などで贋作と本物をどう識別するのかという「真贋問題」は数学的にもおもしろい問題だと思って、興味を持っています。特に画家の個性と考えられている絵のタッチ、筆遣い、全体の雰囲気といったものが、一体何からできているのか、いつか数学的に完全に分類し、理解してみたいですね。

三杉 隆敏
岩波書店   1996年6月   ISBN-13: 978-4004304517


私自身が「真贋」に興味を持つきっかけとなった本です。ヨーロッパの名陶はもともと中国の陶磁器を真似た「にせもの」からスタートした……といった興味深いエピソードが書かれています。数理モデルにおいても「にせもの」をたくさん作ることで本物が浮かび上がるという発想は大事だと思っています。

堀田 善衛
集英社   2010年11月   ISBN-13: 978-4087466386


絵画に深く刻まれた人間観、歴史観を開眼させてくれた本。既に文庫本になっているようですが、本当は箱入り装丁本がいいですね。4部作になっており、次の巻がいつ出るか、と待ち遠しかったのを、今でも覚えています。

近藤 四郎
岩波書店   1979年10月   ASIN: B000J8D9X8


動物の足の運び方のパターン研究を紹介する本です。たとえば馬が歩行から駆け足になると、4本の脚の動かし方が変わりますが、それがどんなスピードで、どう変化していくのか─これは実用上の要請もあって、かなり昔から議論されていたことが知られています。ところが最近、数学においてきちっと議論されるようになり、力学系理論、特に対称性破壊の観点から統一的に理解できるようになってきました。著者は数学者ではないのですが、既にその視点が提示されている点が注目に値します。

幸田 文
講談社   1994年10月   ISBN-13: 978-4061857889


ある種、鬼気迫るものを、この人の書いたものに感じます。風光明媚な場所ではなく、人の背に負われてでも荒廃した自然の「崩れ」の場所へ行く、という著者最後の長篇作品です。幸田文は、そこに何を見ようとしたのだろう?─「うつろひゆくもの」のすごさと哀れさが共存しているところだったのかもしれません。