ビッグ・プロジェクトが可能だった頃には、大きな予算が降りて新しく研究施設が建てられて、そこに最高の人材と、実験装置や観測装置を集めて、国際プロジェクトをやっていくというようなかたちが通例でした。まず場所がある、そこに投資をしていく。米国のSSCなどはその代表例でした。しかしそれが難しくなった時に、それでも、過去と同じ程度のサイエンスを実現するにはどうしたらいいか──経済学的に考えれば、研究者が採る道というのは、やはり融合研究だったんだと思います。
研究資源には、実験装置だけではなく、データ、人材ネットワークなど、いろんなものがあります。そのようなリソースをみんなで共用していく。最初に動いたのは国際連携という、ひとつの拠点を建て、その費用を各国で分担するようなかたちの連携ですね。その後さらにできる実験が限られてくると、モジュール単位で実験をしたり開発をしたりして、分担して実行するようになっていきます。そして、わかったことをデータとして共有したり、データの解析は別の人材が行ったりといった連携を行っていく。スパコンなどのパワフルな計算機資源をネットワークごしに共有する「グリッド・コンピューティング」も、同じ考え方だと言えるでしょう。そうすることが研究成果を上げるためには、戦略として必須だということになっていたのだと思います。