音楽はもちろん音の芸術ですけれども、舞台で演奏するということはやはり視覚も入ってくるわけで、すると演奏者の姿がお客様にどう見えるかということも体験のうちに入ってくるわけですね。等身大というだけでなくて、実際よりも大きく見えるかもしれない──そのあたりは芸を極める人の、ひとつの理想だと思います。私も実はヤーノシュ・シュタルケル先生がアンコールでコダーイを弾かれるのを初めて見たときに、とっても大きい人だな、手も大きい人だなとびっくりしたんですけれども、後でお会いしたら私より少し背が低いぐらいで、手もね、とりわけ大きいということもない(笑)。舞台で大きく見えたり、手もなんだか蜘蛛みたいに指板の上をすーっと動いているように見えたり、そういった印象を与えられるのは、芸術家としてすごいなと思います。弦楽器の場合、名人になると、いわゆる弓が糸に吸い付いているように見えちゃって、それが絶対に崩れないんですね。それはもう、そこへ至るまでには、たいへんなトレーニングというか練習が必要なのはもちろんで、極められた方のお姿は、それは美しいですね。
私はカザルス・コンクールで優勝したということもあって、チェロではパブロ・カザルスという方は20世紀を代表する神様みたいな方なのですが、何度か個人的にもお会いしたことがあるんです。以前、マスタークラスの授業のような機会に演奏なさったのを聴かせていただいたんですけれども、私はもうびくっとするくらい感動した──それは先生が練習なさっているうしろ姿を拝見した時なんです。もうほんとうにね、神々しいというか、そこには「自分」がこう在るというか、 “人間のかたまり”というふうに感じられましたし、本当に「がしっ」としていたんですね。もう何があったって微動だにしない。一昨日みたいな地震*があったって大丈夫というかね。(*11/24、首都圏に発生した最大震度4の地震のこと)
一流の音楽家は、一歩ステージに足を踏み入れた途端に、もうお客様を巻き込んじゃうというか、自分のものにしてしまうカリスマ性がありますね。カザルス先生もそうでしたし、ロストロポーヴィチさんも、ヨーヨー・マさんもそうですが、そのような力を得るには、もちろん練習も大切だし、幅広い知識も必要だろうけれども、たとえば世界平和に貢献するとか、ヒューマニティにかかわる精神的深さ、思いやり、同情心、向上心……そういったものを身に備えた方は、舞台姿が美しいなと思います。