いまのことばの教育はいろいろと深刻な問題を抱えています。たとえば、国語ではことばのしくみや機能についての説明が十分なされていなかったり、英語ではとにかく「使える英語」一辺倒になったりといった具合です。せっかく、ことばという宝物を手にしているのに、それを活かした教育がなされていないように私には思われます。
外国語として英語を学習しようとすると、英語という体系が日本語の体系とは違うことが壁になり、どうしてもその壁が乗り越えられない。しかし、母語として身につけた体系を意識化させ、ことばが共通に持つ基盤、さっきお話しした普遍性、それを利用して、外国語の体系を学習する。普遍性という基盤を利用するのは、教育にとってとても重要なことだと思うんです。
しかし、そのためには、母語の体系をある程度、意識化させる必要があります。私はそれを「ことばへの気づき」と呼んでいます。そのためにはことばへの気づきを引きだすための枠組みをあらかじめ用意しておかなければなりません。さっきの話に出てきた「きりんさんたち」にしても、すぐに、きりんが1頭の場合もあると気づく子どももいますが、気づかない子どももいます。むしろ、気づかない子どものほうが多いですね。しかし、「桃太郎さん」を引き合いに出すと、それがひきがねになって、きりんが1頭でも「きりんさんたち」と言えるのだということに気づきます。また、この気づきのための枠組みを提供するときに、日本語だけでなく、同じ基盤を持ちながら、異なった個別性を持つ外国語を利用するのはとても有効です。その点では、小学生に外国語に触れる機会を与える価値はあると思います。ただ、それは、早くから英語を学び始めるとそれだけ英語が身につく可能性が高くなるといった根拠もない言説に惑わされて、小学校に英語を導入するのとはまったく異質のことです。そうではなく、ことばへの気づきを引きだすカリキュラムを編成して子どもたちに提供する可能性を探ることは、ことばの教育に関する今後のとても重要な課題だと考えています。