次々と機能を付け加えていくのが「足し算のデザイン」だとすると、私たちが考えるのは「引き算のデザイン」もしくは「チープデザイン」というものです。ゴミを拾えないロボットなら、周りの人たちに拾ってもらえばいいねという発想なら、どんどん機能をそぎ落とせます。ロボットの個体としての能力はとてもチープなんだけれども、そのことで周囲との関係性がよりリッチになるのです。
一つの例に、お掃除ロボットがあります。これは、ひとりで勝手に掃除をしてくれるのだけれども、弱い部分もある。コードが絡まったり、床にものが落ちていたら巻き込んでしまったり。そういう弱さに気づくと、使う人はあらかじめ片付けておいたり、ロボットが動きやすいように準備をしてからスタートボタンを押します。そんなことをしているといつの間にか部屋はとてもきれいになっている。その部屋を片付けたのは、だれなのか。自分だけでもなくロボットだけでもない。ロボットは僕らを味方につけながら掃除をしていた、あるいは一緒に片付けていたわけです。
従来の機械に対する考え方では、コードが巻き付いてギブアップしてしまうというのは、「欠陥」とか「性能が低い」となりますが、この弱さが周りの手助けを上手に引き出して、一緒に掃除するという場を引き出してくれたということなのです。
逆に、もっと完璧に仕事をこなすものだとしたら、ロボットと僕らの関係は、掃除する「物」と掃除してもらう「者」となります。この間に線が引かれてしまうと、僕らはロボットに対してもっともっと要求水準を高めてしまいます。あげく、便利さを追求することによって、かえって人間を受動的な存在に落とし込んでいるのではないかと思うのです。