file 03:ロボットとの共生は、あり得るのだろうか?

スマートフォン、銀行のATM装置、パソコンは、決められた手順が求められ、少しでも操作を間違えるとやり直しを命じられてしまいます。正確ではあるのでしょうが、融通が効かない息苦しさも感じます。叱られているように、おどおどしながら操作するのはなんだか痛々しい。

 たとえばハサミは、それを使う人によって切れ味が変わってくる。人は、ハサミの刃がもっとも切れ味を発揮できるよう、手の感覚で操作します。だれが使っても同じでもなく、なにを切るときも同じではありません。ときには、ハサミを上手に使いこなす者として、そのハサミの存在によって私たちが価値付けられていることもあるのです。

 ロボットはどうでしょう。ロボットと共生する時代はしばらく来ないのではないかと高をくくっていたところがありますが、いまやお掃除ロボットは日常の一部となっています。軽快な音を立てて動き回り、イスや壁にぶつかりながら方向を変えていく。しばらくすると、疲れたように元の場所=充電基地に戻り、その姿に健気ささえ感じ、ときには感情移入することもあります。

 手助けが必要なロボット、手をつないで歩くだけのロボット、相手の目線を気にしながら言い淀むロボット、道に迷っているカーナビ……。自らの不完結さや弱さを自覚しつつ、他者との関係を指向できるか、他者にゆだねる姿勢を生み出せるか。「共にある」ロボットには、そんな関係性を指向する側面がもっと必要なのではないでしょうか。