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明日へとつなぐ鍵Ⅶ

画像で読み解く脳のエイジング

国立長寿医療研究センター研究所
中井敏晴 室長

共犯の2人にそれぞれ、自白すると有利な条件を示して司法取引する場面を考える、「囚人のジレンマ」というゲーム理論の問題提起がある。囚人たちは協調し合ったほうが得なのだが、1度だけの取引では、実際には両者とも裏切り合う結果になるそうだ。これをお金を使ったゲームにした行動実験に長年取り組んできた、山岸俊男教授。その著書『安心社会から信頼社会へ』『日本の「安心」はなぜ、消えたのか』を手に取られた方も多いのではないだろうか。玉川大学脳科学研究所脳科学研究センターに、山岸俊男教授を訪ねた。

「fMRI」とはどういう方法か?

この秋から約500人の一般の方々に、人間同士の相互依存関係をお金で表現した、いろんなゲームに参加していただきます。たとえば参加者で2人組をつくって、それぞれが実験者から1,000円もらい、それを相手に提供するかどうかを決めてもらいます。提供したお金は、2倍になって相手にわたることにします。もしお互いに提供し合えば2,000円ずつになりますね。でも自分にとって一番いいのは、自分は提供せず相手だけが提供してくれた場合(自分3,000円、相手0円)ではないでしょうか? また提供するかどうかを決めるときに、相手が提供したかどうかがわからない場合と、わかっている場合とでは、当然結果が違ってきますね。

これらの実験は、誰がどんな行動をとったか、実験者を含めて他の人には絶対にわからないようにして行います。人にどう思われるか全く気にする必要がないのに、なぜ人間は利他的に行動するんだろうか?─いろんな説があって、たとえばそういった価値観を内面化しているからだという説明があります。ではなぜ人間はそんな価値観を内面化しているんでしょう?……しないほうがいいですよねえ(笑)。あるいは数理モデルによって一貫した説明を与えることもできます。ところが、それが本当かどうかを確かめる術がない。そこで人間は動物であり、その行動傾向は進化的に獲得されてきたという基本的な発想に立って、この進化モデルで想定されるようなこころの働きを人間が本当にするのかどうか、ゲームを細部をいろいろと変えて、3年半かけて調べようというわけなんです。

この玉川大学では、さらにの働きと人間の利他行動の関係も調べたいと考えています。ゲームをしているときの脳の働きを調べるだけでなく、500人ぶんの脳の構造データを取る予定です。たとえば脳のある部分が大きい人たちと、その行動傾向との間には相関があるのだろうか?─行動傾向とつながることによって、脳科学が持っているテクニックから、人間が利他的に行動するようなっていった手がかりを得たいと考えています。

ブラックボックスのイメージング

ところで、心理学が個人がどういう原理で行動するかを調べるのに対して、社会科学が扱う問題は基本的に「意図せざる効果」だと言えます。人々が個人として望ましいと思うようなことをした結果、ひょっとすると望ましくない結果が生まれてしまう。わかりやすい例が不況で、世の中不況を望んでいる人なんて誰もいない。ところが不況が来るぞと思うと、みんなまあ消費ちょっと節約して、貯金しておこうかなと考えます。その時、不況をひどくするために貯金しようと思う人はいませんね。目的は違うんだけれど、消費しないで貯金をすることが副産物を生むわけです。

今、経済学でそのことを調べるスタンダードな理論的道具が、数学モデルを使って均衡を出すゲーム理論なんですね。ゲーム理論は、人々は自分の利益を最大化するように行動するという前提を出発点に実験を組んでいます。でも……それが正しくないことは誰でも知っていますよねえ。人には自分の利益を省みずに行動することがあるし、他人だってそうだろうという予測も立つ。では出発点で、人間はいったいどういう原理で行動するのでしょうか?─これを社会科学で使えるかたちで明らかにしていく必要があります。そのとき、人間はこのように行動するものだという洞察に基づくのではなく、「なぜそういう原理になっているんだろう?」と問うことによって、理論がサーチライトみたいな役割を果たして、見えなかったものを照らしてくれる。その上で相互作用によってマクロな結果が出てくるプロセスを分析できれば、社会科学はほんとうに強力な科学になると考えています。

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研究者を40年ぐらいやってきて、私が一番興味持っているのは、人間はなぜばかなことをするんだろうということなんですよ。言い換えるとマルクス主義の「疎外─自分の行動が自分に対する制約になってしまうということ─なんですね。人間は社会をつくらなければ生きていけない。それなのに、ほんとうにみんなが望ましいと思う状態ではない社会をつくってしまっている、そのしくみを調べたい。有名な例が「共有地の悲劇」というものですね。共有の牧草地にみんなで羊を放します。村人はそれぞれ、たくさん放したほうが自分の利益になるけれど、みんながそうすれば、牧草地は荒廃してしまいます。みんなが自制すればうまくいくってことは、全員わかってる。でも、それを達成させる制度がない限りはできないんだという、産業革命時のイギリスの話です。

逆に見ると、共有地がうまくいくような社会をつくるにはどうしたらいいか?─という問いにもなります。政府をつくるとか、村の中でお互いに監視しあうとか、いろんなやり方がありますね。たぶん人類は、つい最近までそういうかたちで社会つくってきた。では社会をつくり始める人間のこころの中に、そもそも何が組み込まれているのだろう─それが知りたいなあと思って、研究しているんです。

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今、進化生物学から出ている利他性の説明原理は2つあって、1つは集団内で自分に利することばかりしてもいつかはばれてしまうから、人間は短期的な利益に目がくらまないような心理的なシステムを進化させてきたというもの。もう1つは人間の集団間に競争があり、利他的に行動する人が多い集団は全体がうまくいくため、その行動傾向が進化したと考える集団淘汰の考え。もし後者が正しければ、人間は見返りがなくてもほんとうに利他的に行動することになります。同時に、他集団に対して攻撃的に行動するということでもありますから、戦争のようなことがもともと人間性の中に組み込まれていることになりますね。もしそうだとしたら、これは、かなり考えなければなりません。

このよう行動原理を調べることは社会的にもたいへん重要であり、また社会がどれだけ変われるか、変われないかといった予測にもつながります。たとえば日本的な経営形態がうまくいっていたときには、人々はそれに応じた行動や価値観を持っていました。でも今の日本では、もうそのころの考え方は通用しない。あるいは社会が国際化してきて、英語をしゃべれなければだめだよ、と。みんなわかっているけど、そう簡単には変われないですよね。スキルが必要だという問題もあるし、みんな一斉にならいいけれど1人だけでは抜け出せないという「均衡」が生みだす問題もあります。みんなはこう考えるだろうと誰もが思っていて、それに従って行動することによって、信念通りの状況ができあがっちゃっている。いまの日本が抱えるかなりの部分は、その問題なんですよ。このときに「文化万能主義」みたいな考え方では、これからの日本人の行動をまったく予測することができませんね。日本人は和を尊ぶ伝統があるからそういう行動を取るんだという説明は、基本的に間違いだと言えるでしょう。