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おとなりの研究者
東京大学大学院
人文社会系研究科死生学・応用倫理センター
教授

東京大学
大学院情報学環
教授

星槎大学
共生科学部・大学院教育学研究科
副学長・共生科学部長・教授

旧所属 帝京平成大学(THU) 情報学部 経営情報学科
教授,名誉教授

大阪大学
COデザインセンター
教授

file 02:ブッシュ・リポート

ルーズベルト大統領は、マンハッタン計画(Manhattan Project)の推進にあたり、政府における最高責任者にヴァネヴァー・ブッシュ(Vannevar Bush, 1890 - 1974)という人物を指名します。ブッシュは、当時MITの副学長と工学部長を務めていた人物ですが、この時ルーズベルトに見出され、アメリカでも初めて政府内に、科学の知識を戦争遂行のために組織的に使おうとする部局が作られるとともに、そのディレクターに指名されるんです。科学者からはオッペンハイマー(J. Robert Oppenheimer, 1904 - 1967)がリーダーとなり、1943年からは軍隊からレズリー・リチャード・グローヴス准将が出て、プロジェクトを牽引していくことになります。

このプロジェクトが原爆を生みだすことはご周知の通りですが、一方、ルーズベルトは戦争末期に、この後必ず平和が訪れる、その時今度は戦争遂行のためではなく、国民の生活水準を上げるとか、病気に対する戦いをより国家的に行うとかいった課題に、同じやり方で立ち向かうためにはどうすればいいか?─と、ブッシュに諮問させます。

ブッシュはそれについて、半年かかってレポートを書くわけです。これがブッシュ・レポートとして知られる、有名な「Science, the Endless Frontier(限りなき前線としての科学、1945年7月)」というレポートになります。これが言ってみればアメリカの科学政策を決定したところがある。有名なNational Science Foundation (NSF)も、そのアドバイスのひとつとして1950年に結成されたものなんです。

ちょうど20世紀の半ばごろになって、科学は科学のまま放っておくのはもったいない、われわれの生活のために存分に利用しようじゃないかという政策が、1950年のNSFから始まった。もちろんその原型はマンハッタン計画にあると言っていいと思うんですね。