法解釈の伝統と関連して、我妻榮(わがつま・さかえ, 1897 - 1973)博士のある著作を紹介したいと思います。我妻博士は、民法学界だけでなく、家族法改正を初めとする戦後の各種立法や裁判実務をも様々な形でリードし続けた、20世紀の日本を代表する民法学者です。その我妻博士の一連の著作の中ではあまり知名度は高くないのですが、『中華民国民法』という、中華民国民法典に関する注釈書があります。
20世紀初頭の南京国民政府時代の中華民国では、明治時代の日本と同じように、不平等条約の撤廃などを目的として、1930年代ごろまでに近代的な諸法典が整備されました。そのような背景の下で、西欧法を継受した中華民国民法典が編纂され、それと類似の歴史的経緯において西欧法を継受した日本でも、日本の民法典と個々の条文自体もかなり近似していることもあって、中華民国民法典には高い関心が集まりました。我妻博士の『中華民国民法』では、ドイツ、フランス、スイス、日本などの各国の立法例と対比し、中国における旧来の慣習・慣行などにも言及しつつ、中華民国民法典の各条文を解釈しそれに対する注釈を付す、という作業が行われています。法解釈学の伝統と形式が、この書物において、端的に表現されているように感じます。
そして、『中華民国民法』の各巻の中で、まだ本として出版されていない、我妻博士の幻の原稿と言われていた「中華民国民法・物権編(下)」が、東京大学東洋文化研究所の書庫の中から見つかって、それを複写・製本したものが東洋文化研究所図書室に収蔵されています。これを見ると、執筆から推敲・加筆に至るまでの作業が目に見えるかたちで残されていて、大変緻密に、中華民国民法典への注釈の作業に取り組まれていたということがよくわかります。ああ、我妻先生はこうやって執筆作業を進められていたんだ、ということを直に見て取ることができるんですね。
ただ、その一方で、法解釈の限界のようなものも漠然と感じはするんですね。たとえば、ここでは、ドイツ民法典の条文等を参照軸にして中華民国と日本の立法例を対比する、といった作業が行われていますが、そのドイツ民法典の条文自体が(19世紀のドイツ普通法学という)ある特定の歴史的文脈に依存したものであって、絶対的な参照軸にはなり得ないはずです。しかし、これらの作業を見ていると、ドイツ民法典という固定されたテクストの権威によって、しばしば強力に支配されているようにも感じます。確かに、そもそも法解釈学というのは、そうして権威づけられたテクストを覆さないというルールの下で行われる作業である、と考えざるを得ない部分もあります。しかし、それらのテクストについては、それが民法の歴史の中のいかなる層に属し、またどのような社会的・政治的構造を前提としたものであるのかといった観点から、自らの手からいったん突き放して、テクストに対する根本的な批判を経由させることを、疎んじてはならないと思います。このように、法解釈学では越えられないはずの限界をいかにして乗り越えていくのか、またそのためにはどのような論拠や学問的手続が前提とされなければならないのか、といったことについても、同時に考えていく必要があると私は考えています。