file 03:融合研究で大切なこと

僕は、神経細胞という脳をつくるパーツを集めるということを、学生の頃からずっとやってきました。それによって脳のことがわかるのではと思っていました。生物学ではよく、複雑な現象に対して一番小さな単位まで遡って、それがどんな機能を持っているかを調べるという還元論的手法をとります。僕もそれに従っていたわけです。しかし、それだけだと、結果の羅列になるだけで、本質がどういうことなのかはなかなか見えてこないわけです。生物がもっているさまざまな現象を部分的に捉えても、「なるほど、そういう現象があるんですね。おもしろいですね」と言われるだけで、そこまでということが多いわけです。こういう経験をもっている研究者は、特に基礎研究をしてる生物学者には案外多いと思うんです。結構、それで満足もするんですが。僕はやはり現象を理解して、それが生物にとって、本当にどういう意味があるか知りたいし、なぜそういうことを生物が獲得したかも知りたいわけです。また、そこからヒトのことが理解できたらいいなと思う。さらに、その機能が世の中の役に立つなら、それを再現してみたいと思うわけです。

そういう中、1990年ぐらいから、神経細胞というパーツの情報があるならば、それらを使って脳を組み上げる仕事をしなければいけないと考えました。そういう方向が得意なのは工学者です。一方その頃工学の分野ではトップダウンの方法に限界が見えてきて、生物に学んだやり方で何か打破できないかと考える人たちがいたわけです。その頃から、生物学的に分析した結果を工学的に再構築することで、生物がもつ、脳がもつ機能やそのしくみを理解しようという研究がスタートしていったんです。生物学、工学、情報学の融合ですね。ところが始まったのはいいものの、もうぜんぜん言葉が通じない。たとえば「アンテナ」といえば僕らにとっては当然、昆虫の触角だし、工学者にとっては、電波のアンテナなわけです(笑)。異分野融合ではなくて「混合」です。生物のデータにしても、生物学者がとるデータは、工学者には意味不明だったりするわけです。非常に大切なポイントは、生物の人たちが、工学の人たちがちゃんと論理的に、定量的に扱えるようなかたちでデータをとっていくということです。私も含め、生物の人たちはふだん、現象に注目するものの、それを理論的に再構築することはあまり考えずに実験に取り組んでいることが多いのです。それでは、せっかくのデータが使いものにならないわけです。

一方、工学の世界では、たとえば生物のすごい能力をモデルを作って再現するわけですが、基本的には数学や物理学を駆使して、トップダウン的にモデルをつくります。一見、確かにうまく機能するようなものを作るわけです。しかし、問題は、そのモデルが生物と同じしくみであるかどうかをちゃんと保証できないことです。ある条件ではあたかも生物のように振る舞っても、違う条件では機能しない。こういうことがほとんどなわけです。これは、脳という複雑なシステムでは、その検証が非常に難しかったからです。

そのような中、生物学がゲノムの時代に入り、遺伝子操作というツールが使えるようになってきました。これによって、脳をつくる特定の神経細胞を活動させたり、抑制させたりすることが好きなときにできるようになってきたのです。これにより、モデルから予測したことを実際の脳で確かめることもできるようになってきたわけです。僕らの研究室では、遺伝子操作に取り組み、カイコガの特定の神経細胞を人為的に活動させることもできるようになってきました。このような手法によって、生物学的に得られたデータをもとに、脳を精密に構築した神経回路モデルをつくり、さらに遺伝子工学を用いて、その神経回路モデルが正しいかどうかを検証できるようになってきたわけです。さらには、このような神経回路モデルでロボットを操作することで、新たな環境に適応していく脳のしくみが明らかになってくると考えています。今まさに、生物学、工学、情報学の「混合」から「融合」に移行し、「昆虫の脳をつくる」ことで脳を理解するための、真の意味で異分野融合が機能しはじめたといえます。