僕は大学4年生の時は化学が専攻で、X線を使った結晶の構造解析をしていました。しかし元々は生化学や生物学が勉強したかったので、大学院ではそういう分野へ行こうと探していて、奈良先端科学技術大学を選んだんです。最初のテーマは幹細胞ではなくて、細胞の接着がなぜ起こりどのように細胞に影響が出るのかといった研究をしていました。その後、山中伸弥先生の研究室へ助手として入ってから、ES細胞などの幹細胞の研究に携わるようになりました。山中先生の人柄もあって、フランクな雰囲気の研究室だったので、好印象を持ったことを覚えています。
山中先生の研究室は、体の細胞からいろんな可能性を持った細胞を作ろうというのが、当初からのコンセプトだったんですね。しかもちょうどその頃脚光を浴び始めた世界で、山中先生も言うんですけれども、あれはもう学生を呼び寄せるための謳い文句みたいなものだったと。僕もおもしろそうだなと思っていましたが、その反面、相当難しいだろうとも思っていましたね。(笑)
やはり常識的には、一度分化したものは「もう戻らない」と考えられていましたから。それがもう、たった4つの因子を入れるだけで、ある程度戻ってしまうというのは、やっぱりすごいことだと思います。実は海外のラボでも、当時みんなそれぞれに同じような実験をしており、そんななかで山中先生の研究室がトップで発表できたんですね。本当にびっくりしました。
実際のところ、最初はあまり信じてもらえない部分もあったと思いますが、特にヒトのiPS細胞が成功してからは、研究をとりまく環境もずいぶん変わってきたように思います。京都大学iPS細胞研究所(CiRA)には、医学部をはじめ、生物、農学、薬学いろんな分野からiPS細胞の研究したいという若い人が集まっています。このような施設で研究できることを、僕はとても幸福なことだと思っています。