file 01:近代社会以降の家族と「公私の分離」

血縁でなければ親子じゃないという感じ方も、近代以降の、家族が私的なものになっていくなかでできあがっていった信仰と言えるでしょう。日本に限らず、家という生活の共同体を維持することが人々にとって主要命題であった時代には、血縁にこだわらずに養子などを迎えたりして、人々は代をつないで生活を営んでいました。それが近代以降、家族が「私的」なものになり、愛情によって結びつくべきであり、血がつながっているのが当然だと考えられるようになっていったわけです。

実際には、遺伝的な親と、実際の生活の親といったふうに、父母が複数あってもいいわけですね。人類学的にはおもしろいケースがいくつもあって、たとえば中国の雲南省に「モソ族(摩梭族)」という結婚を知らない民族があって、男性も女性もみな生まれ育ったところで一生を終えていく。通い婚で男性が通ってきて子供が生まれるんですが、誰が生物学上の父親かはだいたいわかっているけれども、扶養の義務はないし、そもそも「父」という言葉がないんです。もっと面白いことには、「母」に当たる言葉も私たちが自明にしている意味とは違うんです。産みの母も、一緒に住んでいて子どもの世話する母の姉妹たち(つまり私たちの常識ではオバです)も、区別なく「母」と呼ばれるんです。つまり、複数の母がいるわけです。この仕組みは、育てる側には子育ての負担が分有でき、子どもにとっても頼るべき人を多数持てる、合理的な仕組みと言えます。

こうした仕組みはいろんな文化がさまざまなかたちで備えてきたことです。たとえば、「名付け親」などの擬制的親子関係を結ぶことは、日本も含めて広く実践されてきました。日本では、現在はその慣習はほとんどなくなり、親が好きなように子供の名前を付けるようになってきています。いろんな思いをこめて親がつけるのだけれども、実の親でない人につけてもらうのは、子供の成長に責任をもってかかわってくれる人を増やすすごくいい仕組みだったんです。

また家族のありかたには、意識の問題だけではなく、住居のあり方も関連していて、現代のように世帯ごとにコンクリートの壁と鉄の扉で仕切られていれば、人々の意識もやはりその中でつくられていきます。中国や韓国には、一つの門の敷地にいくつかの所帯の建物が集まっている伝統的な家屋があるのですが、これも必ずしも血縁同士ではない集まりで、お互いを支え合っていける人間関係を育てる環境と言えますね。

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