私たちは母国語を話す時、めったに辞書を引いたりしない。それは私たちが、いわば“脳内辞書”を持っているからだ。このような人のこころの中にある語彙の知識の総体を「レキシコン」といい、ギリシア語に由来するというのだが……ではいったい何時、どのようにして出来上がったんだろう? そこで今回は、言語にご関心を持ち、認知・発達心理学の分野で活躍する慶應義塾大学 今井むつみ教授を、共同研究機関である「玉川大学赤ちゃんラボ」に訪ねた。
私は、認知発達と言語獲得との関係に興味を持っています。子供は言語を学習することで、概念などの認知機能を発達させていきますが、一方で、認知の基盤を持っているからこそ言語の学習が可能になるという面もある。このように言語と認知は、支え合いながらお互いを引っ張り上げていく双方向的な関係にあり、これを「ブートストラッピング(bootstrapping)」と呼んでいます。ちょうど編み上げ靴の金具に次々とひもがかかっていくようにして、人のレキシコンは作りあげられていくんですね。そのメカニズムを、明らかにしたいと考えています。
しかしそもそも、最初のひもをかけるというのは、いかにして可能なのでしょうか? 実は赤ちゃんは、お母さんのお腹の中にいる時から、くぐもった「音」を通じてすでに言語にさらされています。そして生まれてからもしばらくは、音の分析に専念しているんですね。語彙というと、私たちは当然単語という単位で区切るものだと考えがちですが、話し言葉は連続した音声の流れでしかないので、赤ちゃんは自分で単語を切り出さなければいけません。そして赤ちゃんはあるとき、それまで一生懸命区切ってきたのが単語というものであり、それぞれに意味があるんだということに気づく……。
三重苦を乗り越えた有名なヘレン・ケラーのお話にも、まさにこの瞬間が出てきます。彼女は、サリバン先生から指で文字を教えられても、それが何であるかわからなかった。ところがある時、この流れ落ちる水が、手の平に書かれた「water」なんだという洞察に至ったわけですね。要するに言葉というのは何かを指し示しており、対象物と言葉には相互参照的な関係がある。これを「Referential Insight」と言います。これがひらめいたら、あとは意味を自分で探していくこともできるし、どうしたら意味を探せるだろうかと考えていくこともできる……そういうことが始まった時が、最初のひもがかかるということではないか、と私は考えています。
最初のひもがかかったら、子供はこのブートストラッピングのメカニズムを使って、まずおおざっぱにレキシコンを構築していきます。このミニマムなレキシコンができると、その後はものすごい勢いで語彙が増えていくんです。これは非常に人間に特徴的な点で、1歳半ぐらいの子供は1日あたり約10語獲得すると言われています。またこの時期に見られる「相互排他性バイアス」という、1つの物には1つの名前しか付かないというルールがあるのですが、たとえば机の上にコップとポットがあった時に、「コップ」という言葉を知っている子供が「ポット」という新しい言葉を聞いたとしましょう。すると、このバイアス(偏り)をかけることで「コップではないから、あれかもね」という推論ができるわけですね。
ところで基本的に、子供は言葉の意味を教えられて、レキシコンを構築していくわけではありません。大人は「これはコップだよ」とは教えられるけど、コップの意味というのは言いようがない。母語の辞書というのもまさにこれで、ためしに「イヌ」とか「うさぎ」などのごく基本的な言葉を広辞苑で引いてみてください……意外なことが書いてあったりする!(笑) 言葉の意味はやはり経験から子どもが推論──特に帰納とアブダクション──をすることでしか学ぶことができません。
「相互排他性バイアス」は語彙が非常に少ない時には役立ちますが、実際には、人の使う言葉の概念には階層性がありますから、同じ一匹の猫にもタマ、三毛猫、ペット、動物……と、いくらでもあてはまる名詞がある。そこで粗く作りあげたレキシコンを再調整・再構造化していくというのが、次のステップになります。これは2、3歳頃にはすでに始まっていますが、特に動詞や形容詞の調整には時間がかかるため、少なくとも10代後半ぐらいまではずっと続いていきます。新しい言葉(例:ベースボール)を学んだら、それまであったいくつかの言葉(例:野球)の守備範囲が変わって、自分の中にある言葉のマップが更新され、大リーグのほうはベースボール、日本では野球、というようになるということは、大人にだって、よく起きることだと言えるでしょう。
ところで、言語は人以外の動物にも学習することが可能なのでしょうか。チンパンジーに記号を教えるという試みは世界でいくつかありました。京都大学霊長類研究所のアイちゃんのプロジェクトは有名です。アイちゃんは、ことばを覚えたチンパンジーとして知られていますが、これを見て私が「人と違うなあ」と思う点がいくつかあります。中でも面白いのが、アイは記号の指示対象物から記号を選ぶことを覚えたのに、これを逆にして記号から対象物を選ばせようとするとできない点。言語は対象物の名前であり、双方向の関係を持つ、という「Referential Insight」がないと成り立ちません。それから考えると、アイが覚えたのは本当に「言葉」なのか? という疑問も生まれてきます。ことばと指示対象の間には双方向性の関係がありますが、対称性の推論も、相互排他性バイアスと同じように論理学的には偽であって、つまり人間だけがヒューリスティック(発見的)な推論をする。対称性推論をしないチンパンジーや他の動物のほうがヒトよりも「論理的」といえるかもしれない。しかし、ヒューリスティクスを使った推論や意思決定は素早く、効率がよいのです。ただ、人間は一生懸命考えることで、論理的な推論もできるわけですよね。ということは、人間はヒューリスティクスを使った、誤りを犯すかもしれないけれど素早くできる推論と、論理的な推論の両方をすることができ、状況に応じて選択をしているのです。逆にいえば、制御ができるからこそ、ヒューリスティクスを使った推論をする価値がある、とも言えます。生存に関わる重要な状況で「てきとう」な推論をして行動したらたいへんですから。つまり、複数の選択肢を持ち、柔軟な思考ができるのは、適切な状況で適切な選択肢を選ぶ制御能力があるからです。この能力こそ、人の特徴じゃないかなって思います。人は道具を手に入れたら、それを使うモードや他の道具との関係なども一緒に学んで、制御していく。この精緻なしくみを解こうという試みは、見方を変えれば、人工知能のフレーム問題に帰結するとも言えるでしょう。
また言語と対称性の推論は、どっちがにわとりで、どっちがたまごなのか?というのも興味深い問題です。対称性推論ができるからヒトは言語を持つことができるのか、ことばを学習することによって双方向性の関係を前提とした推論をするようになるのか──そこで私たちは、「Referential Insight」を持った赤ちゃんとそれ以前の赤ちゃんを比べて、それぞれ対称性の推論ができるかどうかを、今、実証的に確かめようとしています。
実証的な研究によって、現象を提示していくことも大切ですが、その背後にどんなメカニズムがあるのか?──脳のレベルでの解明を遠い将来の目標としつつ、こころの働きのレベルでの発達と学習のメカニズムを、赤ちゃんから老年期までの発達の全容を俯瞰的に見渡したうえで、マクロからミクロへつなげるようなかたちで明らかにしていきたい。次にどういう実験をしようか、取得したデータを見てこれをどんなふうに解釈できるだろうか……なんて考えていると、ワクワクしますね。