file 03:実験の制約とネットワーク

認知心理学では、実験といってもまず人間を対象としているという制約がありますし、特に赤ちゃんの場合には言葉で質問したとしてもほとんど答えることができません。このようなさまざまな条件の中で、目的に応じてまず基本形となる実験を作るのですが、うまくデータがとれるような実験の手続きを確立するのに2、3年かかることも珍しくありません。赤ちゃんの場合には非接触で視線を検出したり、視覚聴覚、あるいは触覚などの反応を見るといった方法が用いられることが、多いですね。どういう刺激を作ったら赤ちゃんに興味を持ってもらえるのか、ビジュアルな情報に音や動きを付け加えてみたり、引いてみたり……といった具合で、常に試行錯誤の連続です。

赤ちゃんは刺激がつまらなければもちろん見てくれないので、実験にならないのですが、逆におもしろ過ぎると今度は飽きずにいつまでも見てしまいます。ところが私たちは赤ちゃんにあるものを見せて、ある程度見て飽きたら、その時点で学習が完了したであろうという指標にしているので、おもしろ過ぎても、それはそれで実験にならないのです。このように赤ちゃんならではの難しさはいろいろあるのですが、生後30ヶ月までの赤ちゃんを対象としている「玉川大学赤ちゃんラボ」では、これまで延べ約1,500人の赤ちゃんとその保護者の方々にご協力いただいています。

ここで行っていることは日本語が中心になりますが、ある現象がどこまで普遍的なものなのか、あるいは言語に依存するものなのかという点を確かめるために、私は出来る限り多言語で比較するという方法を採っています。たとえばオノマトペの実験は、イギリスの研究者と共同で行っています。それから、赤ちゃんが学習する言語に固有のラベルや文法カテゴリーの作り方が言語学習にどのように影響を与えるのか、といったことも興味深いところです。そこでアメリカの研究チームと一緒に、赤ちゃんが動詞を学習するときに、知覚情報のどの部分を動詞の意味のなかに入れ込み、どの知覚情報には注意を向けないのか、その注意のパターンがそれぞれの言語での動詞の語彙化の特徴と関係するかを調べる実験を行っています。また、中国ドイツの研究者とも動詞や助数詞などの学習に関して連携しながら研究を進めています。

今井 むつみ
岩波書店   2010年10月   ISBN-13: 978-4004312789

また、私は言語・認知発達の基礎研究で得られた知見や認知科学全般のさまざまな研究成果を教育にどのように生かせるかという問題にも取り組んでいます。子どもが言語を学習する過程には、「呼吸するように自然に学ぶ」という人間固有の学習可能性と特徴が凝縮されており、そこから教育に対して得られる示唆は非常に大きいのです。このため、大学では「認知学習論」という授業を開講して、認知科学をベースにした学習、教育の問題について講義、ディスカッションをしています(参考:教科書『人が学ぶということ:認知学習論からの視点』)。また、小学校の現場の先生たちと定期的にワークショップを行って、いっしょに「ほんものの学び」について考えています(活動の紹介はこちら)。