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錯覚美術館へようこそ。

明治大学
杉原厚吉 特任教授

現実にはつくることのできない架空の立体を、独得の筆致で描いたエッシャーのだまし絵、何度見ても動いているように見えるパターン図形……人々を魅了してきたこのような視覚トリックを、数学を使って解明し、さらに新たな錯覚作品をもつくり出している、明治大学先端数理科学研究科の杉原厚吉特任教授。2010年には、なんとその作品のひとつが「ベスト錯覚コンテスト(6th Best Illusion of the Year Contest)」で優勝した。数学脳科学心理学ビジュアルアートインターフェイスなどの学際的な研究分野として「錯覚計算学」を立ち上げ、人間の目の「錯視」という現象に取り組む。優勝作品などを展示・解説する錯覚美術館に、杉原教授を訪ねた。

人々の生活に役立つ数学の開発

もともと僕は数理工学が専門分野で、これは数学を工学の諸問題に応用して、使える数学を開発することを目指す学問なんですね。ですから錯覚の研究も、単にサイエンスではなくて、錯覚のしくみがわかったらそれをどんなふうに世の中や人々の生活に役立てるかという点も重視しています。そのひとつとして研究成果をふつうの人にも見ていただこうと、錯覚美術館をオープンしました。

ただ錯覚というのは、実は、重箱の隅をつつくような研究ではないと思っています。錯視とはむしろ、人間が生きていく上で役立っている機能が、ある特殊な場面で極端に現れたものであることがわかりつつあるんです。たとえば物理でものの性質を調べるときに、低温にしたり、真空にしたりして極限状態を作って実験しますね。それと同じで、ひとつの極限状態をつくる実験材料が錯覚なのだと思います。錯覚を見たときの目の反応を調べると、ふだんどんなふうに目が使われているかを調べる手がかりとしてとても役に立つ。目でものを見るというのはどういうことかを、僕らは正面から採り上げようとしているんです。

きっかけはロボットの目の開発でした。コンピュータビジョンといわれる分野で、目の機能をコンピュータで実現したいという、割とふつうの研究テーマだったんですね(笑)。僕の場合は中でも線画、つまり平面の線分の集合で出来た図形を、人が見ればどんな立体かすぐに理解できるわけですが、これと同じように立体構造として取り出すことのできるコンピュータをつくりたい。そこでそのようなソフトを作って、ちゃんと動くかどうかいろんな絵を見せて確認していたときに、世の中で不可能立体と呼ばれているだまし絵の中に、コンピュータが立体として理解してしまうものが出てきたんです。よく調べてみたところプログラムの間違いではなく、実際に立体として作れることを発見しました。

「直角大好き」な私たちの脳

実際に立体として作れるのに、なぜ人間はできないと思い込んでしまうのか? いろいろ観察していて私が思うのは、ひとつには─人間のは直角が大好きってことなんです(笑)。特にだまし絵というのは、だいたい3方向の線しか使っていないんですね。すると人間の脳は、面と面が直角に組み合わさって立体ができていると、もう、信じ込んでしまう。一方コンピュータは、直角以外の角度を使うから立体として作ることができるんですね。このトリックをもう少し別のかたちで使うと、ありきたりに見える立体に、動きを加えると、あり得ないことが起こっているという錯覚を作ることができます。これを「不可能モーション」と呼んでいるんですけれども、そのひとつが「ベスト錯覚コンテスト」で優勝した「何でも吸引4方向すべり台」という作品です(写真参照)。

この立体は、ある角度から見ると真ん中が高く見えるのですが、実は真ん中が一番低いんです。画像は二次元の図形ですから、同じ投影図を持つ立体はいくつもあるのですが、人間はそのうちのひとつだけを思い込むんです。そこでそれ以外の立体のうち、人間が思うのと逆向きの斜面を持つ立体を選んでつくれば、錯覚を起こさせることができます。しかも人は事実を知って本当の形を理解しても、元の視点に戻るとやっぱりそうではなく見えてしまう。錯覚というのは理性以前の、非常に頑固な目の性質ですね。もっと言うと目は単なるセンサーですから、そこに何が映っているかを理解しようとするのは、やっぱり脳の働きです。脳は錯覚から逃れられない。

小さなお子さんにだまし絵を立体にしたものをみせても、なにも不思議がりません。こういうふうに見える立体はこういう形なんだという経験と知識をたくさん蓄え、大人になるほど、錯覚がよく起こるのではないかと思いますね。

錯覚の量をコントロールする

どうして錯覚が生じるのかというと、そもそも人間の網膜に映るのは奥行きのない二次元の情報ですから、何か補わなければ映ったものが何であるかを理解することができません。この場合、錯覚は足りない情報を補おうとして失敗したときに生じるわけですね。またそれとは別に、奥行きと無関係の二次元の錯覚もあります。たとえば同じ明るさなのに背景の色が違うと違った明るさに見えるとか、同じ色や同じ大きさなのに違って見えることがあります。この場合はコントラストをより強調したいとか、見やすくしたいという画像処理みたいな機能が脳のなかにあって、おそらくそれが働きすぎるんです。

考えてみれば錯覚というものは昔から知られていて、たとえば15世紀のイタリア建築でも、庭を広く見せたり、廊下を長く見せるのに使われていたりします。しかし数学を使うといろいろと新しいことが期待でき、まず錯覚の強さを数値で表せるようになります。そして錯覚のふるまいが記述できれば、条件を変えてその数値がどう変わるかを予測できます。それらを組み合わせると錯覚の強さを最大化・最小化するにはどういう条件を整備すればいいか、錯覚の量をコントロールできるようになるはずです。生活の中で事故を防ぐために錯覚の量を最小にしたり、見落としにくい標識の設計、あるいは芸術表現の新しい手法として最大化を利用したり、さまざまな提案ができると思っています。

現在は視覚だけですけれども、情報が足りないところを補おうとして脳が間違えるという点では、五感の錯覚に共通したところがあるんですね。これをもう少し拡げると、たとえば選挙のときにどんな運動をすると得票数が多くなるとか、スーパーでどう陳列すると何がよく売れるとか、いろんなことがわかってくる可能性があります。そんな意味で「錯覚科学」という分野が成り立つのではないかということで、2、3年前からたくさんの人に呼びかけて研究会を始めており、次の夢としてがんばろうと思っています。

■錯覚美術館
開館日:当面の間は、毎週土曜日午前10時〜午後5時まで
住所:東京都千代田区神田淡路町1-1 神田クレストビル2階
電話:03-5577-5647
交通:都営新宿線小川町駅・東京メトロ丸ノ内線淡路町駅下車、A5番出口徒歩1分

■明治大学グローバルCOEプログラム 不可能モーション 2 - Impossible Motions 2 -
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