つながるコンテンツ
可能性を照らす道Ⅳ

MOOCsが高等教育に示唆するもの。

大学評価・学位授与機構
土屋俊 教授

MOOCs(Massive Open Online Course、ムーク)元年とも呼ばれた2012年以来、世界の高等教育の大きな変化が起こりつつある。この世界的な流れを受けて、2014年4月、日本オープンオンライン教育推進協議会(JMOOC)による日本版MOOCもスタート。コンピュータインターネットという、まさにグローバルな技術的発達が生み出した変化は、大学や研究機関における伝統ある高等教育にどのような影響を与えていくと考えられるだろうか。ちょうど第50回目にあたるresearchmapつながるコンテンツ、今回はこのMOOCsを巡って、大学評価・学位授与機構 土屋俊教授にお話をうかがった。

2012年、MOOCsの出現が意味したもの。

アメリカ西海岸を本拠とするUDACITYCoursera、東海岸のedXという3つのオンラインコース・プラットフォームがスタートし、大学レベルの講義を配信するしくみが"MOOC"という新しい名前とともに一気に話題になったのが、2012年のことです。基本的には大学が研究資金を提供して開発が始まり、営利/非営利の運営団体が設立されて、授業の提供にはスタンフォード大、ハーバード大、MITなどの名門校が参加して、世界へ向けてオープンしていきました。大学の講義で1クラスに集う学生数は多くても100〜200人程度ですから、これをフリー&オープンにすることで、世界中の何万人、何十万人もの多様な人種、国籍、言語をもつ人々がひとつの授業を受けられるようになり、結果として高等教育へのアクセシビリティを飛躍的に向上させたという意義があったと言えるでしょう。

このような高等教育へのアクセシビリティ向上の試みは、既にイギリスのThe Open Universityや、ヨーロッパ各国の国レベルでの試み、アメリカにおける兵員への遠隔教育、日本の放送大学などに例がありますが、MOOCの運営には、とりわけ西海岸のふたつにはシリコンバレーのベンチャーキャピタルがこぞって投資したこともあって、The Wall Street Journal、New York Times、Forbesなどのメインストリームのジャーナリズムに一斉に採り上げられ、話題となりました。アメリカの高等教育は、日本の10倍にあたる約40兆円もの大市場であり、またアメリカに多い、働きながら通うパートタイムの学生を含めると、2,000万人を越える学生が在籍しています。日本の学生は約300万人ですから、日本と比べて人口比約7倍もの開きがあるのです。ちなみに、17〜18歳以降の教育を総称する英語表現として、「高等教育higher education」という言葉に代えて、postsecondary education(「中等教育後の」、アメリカ政府)、tertiary education(「第三番目の」、OECD)など、「高等」という価値を含んだ表現でなく、客観的表現が使われることが多くなっています。

そもそもMOOCが話題となった背景には、アメリカにおける高等教育の費用負担問題、特に学費の問題に関する米国議会の動向があります。アクセシビリティの向上を目的として、学費は、国の負担でグラントやローンとして学生に支給するという方式が採用されてきました。ローンの場合、学生側に債務が残ります。おまけに、アメリカの大学の卒業率は全体で約6割なので、債務不履行になる可能性が高く、実際高くなっていました。アメリカ社会の中には低所得層を含めて、少しでも高い教育を受けて高収入を得たいというニーズが根強くあり、中でも営利大学は約200万人もの学生を集めて、オンラインも取り入れたマス教育を行っていますが、これらの営利大学の卒業率はなんと2割という低さです。2009年にはオバマ大統領が高等教育問題の解決を公約に掲げ、また2011年頃からは上院でこの議論が活発になり、特別委員会によって営利大学を対象とした調査が徹底的に行われました。そのような状況の中で、MOOCsは、高等教育のお金と質という大問題を一挙に解決するのではないかという期待から大きな話題となったと考えられます。

技術革新と大学に求められる役割

2014年現在、実際にMOOCsを体験してみると(といっても私はひとつとして完遂したものはありません)、やはり技術的によくできているという印象を受けます。講義の教授法そのものは、電子的なものを含めてほぼすべて既存の手法ですが、マスであるのにインタラクブという雰囲気が醸しだされ、さらに、既存大学での「フリップト・クラスルーム」のような取り組み、同じところにいる聴講者が集う「ミートアップ」など現実的な展開を見せています。中でも技術的な最重要点は、コース提供の背後で、学習解析(learning anaytics)と呼べるような技術が開発されていることです。実は、MOOCsによって、初めて学生の学習過程に関する精度の高いデータが取得できるようになったといってよいと思います。これまで学生の学習達成度を測るには、年に何回かの試験やアンケート等を少数の学生に対して行なうことでしかチェックできなかったのが、リアルタイムで、学生一人ひとりの理解度までわかる「ビッグデータ」が取得できるようになったのです。このデータを核にして、教授法や教材の組み合わせや最適化、コース設計、教育学的研究などに活かす開発が、次々と生み出されることが期待されています。

ではMOOCsはいったい大学とどこが違うのでしょうか? 突き詰めると、この違いは結局のところ、学位授与です。大学はカリキュラムに沿った科目ごとの単位の取得に基づいて学士とか修士などの学位を授与しますが、MOOCはせいぜいコースごとの修了証明までしか出せません。そもそもカリキュラムはありません。したがって、MOOCが大学に取って代わるということはあり得ません。実際、知識提供や学びの場として、日本ではたとえば中高生のための塾とか、司法試験の「予備試験」のための予備校のような場所も共存しています。この意味でMOOCsは、むしろ高等教育市場のエコシステムの一角を占めるようになるだろうと思います。

しかしMOOCsがラインアップしているのは、世界的にも一流大学の教授陣による質の高い、しかも無料の講義です。これは何を意味するのでしょうか。高等教育レベルの学習機会に対する社会のニーズに、たぶん今の大学というシステムが応えていないのではないかということを意味しているのかもしれません。社会が学位という権威を信用しなくなるとすれば、大学制度そのものが社会から不信を受けることになります。そして、大学が社会のニーズを吸収してこなかったのだとしたら、MOOCsの勃興と継続は大学改革の方向性について少なからぬインパクトを持つことになるでしょう。

アジャイルに改革できるMOOCs

MOOCsをきっかけに、社会の大学への期待が、ずいぶんわかるようになってきたように思います。「大学は役に立たない」と、世の中は言うのだけれども、アメリカでもヨーロッパでも、進学者は増える一方です。日本の場合も、18歳人口の減少があるので進学者の絶対数は増えませんが、近年は、高校卒業生の約6割が短大を含めた大学へ、20数%が専門学校へ進学し、働き始める人は2割未満です。また研究を軸とした近代的な大学のありかたは、基本的にいわゆるフンボルト理念に由来し、現在でもほぼ引き継がれていますが、公的な予算は、世界的にも圧倒的に、研究よりも教育へ多く投じられています。

大学とは、まず教育機関であり、そこで高度な学術的な教養を身に付けて、産業界などの社会へ出てリーダーシップを発揮できるような有用な人材を輩出してもらいたい──煎じ詰めれば、社会はそういう期待を持っています。しかも労働市場では、もとより学歴を問わず、能力ベースで採用する考え方が一般的になってきています。そこでたとえば、雇用者からみて、自国のそこそこの大学の学位取得者と、MOOCsのいくつかのコースで優秀な成績を修めた外国人の応募者とが現れたら、どちらを採用したくなるでしょう。とくに、一定の開発、プロジェクトなどのための人集めの場合だっらどうなるでしょうか。今後はこのようなケースが増えてくるに違いありません。

しかし現在の大学のシステムを改善するには、どうしても時間がかかります。この一方で、MOOCsは、学習解析を可能にする大量のデータを持っています。このような技術を駆使すれば、プログラミングのような専門的技能については当然のこととして、社会人として活躍する際に指針となるような一般的な能力、たとえば、コミュニケーション能力や批判的思考力(critical thinking)などの評価を可能にする情報を生み出せる可能性もあります。しかもエビデンスのある方法で、スピーディに、繰り返し改善していくことができることも忘れてはならないでしょう。