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トビタつための星Ⅹ

コンピューターの影響を、総合的に理解する

神戸大学
寺田努 准教授

コンピューターを身に着ける。これが「日常」となる日も、そう遠くないかもしれない。だが、そのとき、コンピューターが人に与える影響はどのようなものなのだろうか? 新しさと利便性だけではなく、ネガティブな影響をも探ろうとするのは、他ならぬウェアラブルコンピューター研究者である、神戸大学の寺田努准教授だ。工学系の研究に身を置きながら、負の要素を探ろうとする真意を聞く。

なにか変なことが起こる予感を研究

コンピューターを身に着ける「ウェアラブル」、自分の身には着けずにどこでもいつでもあらゆる場面で情報通信技術の支援を受ける「ユビキタス」、そしてコンピューターと人の境界や関わりを扱う「ユーザーインターフェイス」。これらが私の研究分野です。どんな場面でも、コンピューターの支援を受けられる状態を目指していますし、そのことについて、私は基本的にポジティブに志向している立場です。

しかし、コンピューターの便利さや楽しさ、技術的な開発の面白さだけを追求していていいのでしょうか? この問いは大好きなコンピューターの研究と同じくらい大切なことだと考えています。コンピューターを身に着けることで、体や心に予測し得ない影響があるかもしれない。そのことに対して敏感でなければならないと思っています。

このことを深く考えるきっかけになったのは、私の指導教員であった先生の「変化」です。論理の研究者であるその先生は、以前、髪の毛は七三に分け銀縁メガネをかけるという、見るからに真面目そうな外見でした。ところが、ウェアラブルコンピューターの研究を開始し、常時コンピューターを装着するようになってから、髪型、服装、そして振る舞いが派手になり、まるで別人のように変化していったのです。外見だけではなく、性格や興味の対象も変わったように思いました。派手というか飛躍があるというか、まったくそれまでとは異なる振る舞いをするようになりました。

コンピューターを身に着けるということは、自分の状態を常に数値化して認識することです。もしかしたら先生は、数値化できるものに対しての関心が強くなり、できないものには頓着しないようになっているのではないか? と考えるようになりました。そのことから、ウェアラブルがもつ潜在的な影響力に関心を抱くようになったのです。

いったい我々人間は、自分の情報を見ることによってどういう変化をするのだろうか? コンピューターを身に着けることが日常化したら何が起こるのだろうか? 先生の様子を見ていて、コンピューターを身に着けること自体が、人の心や体に影響を与えているのではないかと考えるようになり、その影響と正面から向き合って研究する必要があると感じたのです。

開発者だからこそ、知っておくべき影響

数値化の影響について、体温を例に考えてみます。 たとえば朝起きたとき、なんとなく体の具合が悪かったとします。そのような状況では多くの方が体温を測るでしょう。検温の結果が38度だったら、そこで「自分は病気である」と確定する。そういう経験は誰にもあるのではないでしょうか。体温の計測によって「風邪だ」と自覚し、それらしく振舞ったり、症状が風邪らしくなったりするということもあります。では反対に、体温計にウソをつかせて、体温38度の人に36度だと思わせたらどうなるでしょう? この場合は元気になり、人によっては実際に体温が下がってしまうということが分かってきたのです。

人は、自分が見た情報に体の状態が引き寄せられるのです。心拍の場合は、体温よりもさらに顕著な変化が起こります。ある学生がプレゼンテーションをする際に緊張していたとしましょう。その人に平常通りの心拍を示すモニターを見せると、実際に心拍が落ち着きます。これは、プラシーボ効果と非常によく似た現象です。プラシーボ効果とは、薬理作用がない物質であっても「痛みによく効く」と言われて服用すると、実際に痛みがとれるというものです。つまり、人に見せる体温や心拍の数値を操作することによって、プラシーボ効果のような変化が起こるのです。このような効果は、病気の治療など良いことにも使えますが、人を操作するなど、悪いことにも利用が可能になってしまいます。

もう一つ例をあげましょう。頭部に装着して、視界の中にコンピューターの映像を表示できるヘッドマウントディスプレイ(スマートグラスとも呼ばれる)を使った実験です。被験者にはコンピューターのデスクトップが見えていて、その一部に花、建物、車両などのアイコンを入れておきます。どの画像が見えるかは人によって異なっています。その状態で、被験者に「自由に写真を撮ってきてください」と指示します。どのようなものを撮影するかといった要求はせず、本人が好む被写体を撮ってもらうのです。すると、ディスプレイに花が表示されている被験者は花や植物の写真を、建物が見えている人は建築物、建造物を撮るという傾向がありました。しかも、実験の後に行ったアンケートでは、本人はそれら画像に影響されたという自覚は全くなかったということがわかりました。常に目の端に見えていながら意識されない情報が、人の行動を左右している。無意識的な刺激が次の行動や情報の処理に影響を与える「プライミング効果」です。

ウェアラブルコンピューターが普及すれば、日常を数値化したり、人に潜在的な刺激を与えたりすることは簡単にできてしまいます。ポジティブに使われればいいのですが、そうでない可能性も十分にある。ですから、ウェアラブルコンピューターを現実社会に実装するためには、使用に際してのガイドラインが必要になります。しかしながら、今の段階では影響もその度合いも、はっきりしたことはわかっていません。そのデータを集め、ガイドラインを作るための情報を整えることが必要で、その仕事は、開発にかかわる人が手掛けるべきだと思うのです。

横の広がりによって見えてくる事実

この研究は、自分の専門領域にのみとどまっていては進めることができません。心理学脳科学など、他分野の専門家との協働が欠かせません。たとえば、先ほどの3つの絵と撮影した写真の関係については、眼科の専門家に意見を求め、目の端に無意識下で見えているものが脳でどのように処理されているのか、日常的に見ている画像との違いは何かといった知見を得ることによってそのメカニズムを探ります。

体温の実験では、実際よりも低い数字を見た人の体温が下がっていくことを、観察によって明らかにしました。しかし、体の内部で何が起こっているのかはわかりません。そもそも風邪であれば体がウイルスと戦っている結果として熱が出るのであって、体温は科学的根拠があって観察されるもののはずです。にもかかわらず、数値を見ただけで体温が下がるメカニズムを、いったいどのように説明するのでしょうか。医学保健の専門家、脳科学の研究者などに意見を求め共に考えます。

いつの時代でも、新しい機器が出てきたら不安や疑念を抱く感情は沸き起こるものです。しかし、それと同時に、技術の進歩による便利さ、楽しさといった利便性も手放すことはできません。利便性がより高くなったとき、機器は一気に普及するでしょう。ウェアラブルコンピューターにもそのような時が必ず来ます。ですが、普及してしまってからでは、規制したり、実効性のあるガイドラインを作ったりするのは難しいでしょうし、遅すぎます。普及の前に、研究の当事者である私たちが全体を理解しているという状況を作りたいのです。

私は、ウェアラブルコンピューターの開発に「待った」をかけたいと思っているわけではなく、むしろポジティブな気持ちで開発しています。その際、良いことも、悪いことも両方知ったうえで作らなければならないと考えているのです。「確かに必要なことだ」と、賛同してくれる工学者も数多くいます。一方、なぜ開発にブレーキをかけるようなことをするのかと感じている人もいます。しかしそうではない。原発などのさまざまな社会問題同様、一概に「賛成」「反対」で切り分けられるものではありません。賛成だけれどもこの部分に懸念がある、実用化するためにはどんなマイナス要素が現れるといったような、総合的な視点づくりに取り組んでいます。ウェアラブルコンピューターを作るということは、人間を知ることなのかもしれません。