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おとなりの研究者
成城大学
文芸学部 マスコミュニケーション学科
教授

立教大学
立教学院史資料センター
助教

名古屋大学
人文学研究科
准教授

静岡大学
人文社会科学部 - 言語文化学科
教授

日本大学
文理学部史学科
教授

file 03:神功皇后と光明皇后

天皇制については、近年も女性や女系の天皇を認めるべきかを巡って時々議論が持ち上がります。その時に必ず、日本はずっと男系であって、女性の天皇は存在したけれどもあくまでも中継ぎだとか例外的なものであるということが話題に上ります。しかしこうした説には、有力な反証があります。それに皇后のなかにも、天皇なみの活躍をする皇后が存在するんです。

その一人が神功皇后で、夫の仲哀天皇が急死したあと、子の応神天皇が即位するまでの間、事実上天皇だった時期があります。神功皇后は男勝りの猛々しい皇后で、神の教えに従って朝鮮半島まで遠征し、三韓征伐を指揮したと伝えられます。それからもう一人有名なのが、聖武天皇の妃であった光明皇后で、恵まれない人に施しをするための施設である「悲田院」や医療施設の「施薬院」などを設置するなどの慈善活動を行ったと言われています。

現代から見ると、神功皇后なんて伝説の世界じゃないかと思いますが、明治から戦前にかけては、神武天皇も含めて天皇はすべて実在しているものと信じられていたわけですね。歴史の前例として一人は男勝りの皇后、もう一方には慈愛に満ちた皇后と、まったく別のふたりの皇后がいた─貞明皇后にとってはおそらくそのことが、すごく励みになっただろうと思うんです。そしてやはりそこに、自分の存在意義を求めていったのではないか。実際、貞明皇后は大正の後期から、ハンセン病患者への支援をずっと行っていきますし、太平洋戦争のときは、東京の空襲がひどくなる1945年1月の時点でなお「かちいくさ」を祈っています。

敗戦とともに、神功皇后的な面というのは否定されていきますが、光明皇后的なあり方は、今に至るまでずっと引き継がれています。現在の皇室の中心的な役割は、光明皇后的なものであると言うこともできますね。