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おとなりの研究者
和光大学
経済経営学部 経済学科
教授

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教授

愛媛大学
法文学部 総合政策学科
教授

工学院大学
基礎・教養教育部門 基礎・教養教育部門(一般教育部・社会)
教授

file 04:教育のなかの憲法

戦後教育の中で憲法をどう教えてきたかというのは、改めて考えるべき点かもしれません。ひとつには、憲法が持っている意味を正面から教えてこなかった側面があるのではないかと思います。

一方、もう少し広い意味での教育のあり方の違いについても感じるところがあって、特に私がフランスに行っていた時に感じたことは、やはり、人との違いを出すことがとても重視されるという点ですね。人と違わなければいけないというのは、結構しんどい生き方だと思うんです。日本の場合「個性を重視する」とは言われますけれども、批判したり、政治をテーマに議論したりといったことは、あまりしませんね。このことは、いろんな意味でひびくのかもしれない。

フランスやアメリカで学校教育を受けると、多分、日本で教育を受けた人とは随分違ってくると思います。こんな例からも、教育のあり方が重要なことがわかるし、またそのなかでの憲法の位置づけというものを考えてみることもできるわけです。

憲法13条にある「個人の尊重」というのは、まさに個性的な個人、場合によっては違いを主張する個人を想定しているはずです。違いを主張すれば、必然的に対立が起きる。日本にどっぷり浸かっていると、それは「好ましくない」と考えがちだけれども、それこそが個人を尊重するということなんですね。また違いが出ればいろんなところで軋みが生じますが、それにどう折り合いをつけていくかが、まさに民主主義の問題です。すると13条は、もっと違ったポテンシャルを持っているのではないか、と考えることもできるんですね。

これから日本社会は、ちょっとずつ変わっていかざるを得ないのではないでしょうか。少子化という問題もあるし、国際化や社会の多様化にも向き合っていかなければならない。このような認識が深まってくると、人権の問題や憲法13条にも、違う角度から光が当たるかもしれない。そこでひとつには、教育の場で立場を超えた議論をしたり、違いを表に出すといった教育が大事だろうと思いますね。私自身も従来ながらの教育を受けて来たので、なかなか超えられません(笑)。けれども今、少しずつ考えていくべき時期なのではないでしょうか。