木村 忠正准教授(東京大学)インタビュー

大学生活は多くの人にとって社会人になる前の最後の時期です。
将来像や人生の目標を持つ大学生がいる一方で、自分がやりたいことや将来像が見えずに「モヤモヤ」を抱えた学生もいます。そこで学生団体DANNAmethodに所属する学生たちが、この「モヤモヤ」に基づいた質問をresearchmapの研究者の方々にぶつけ、彼らの大学時代の過ごし方を手本に、「モヤモヤ」解決の糸口を探ります。

人類学に興味を持たれたきっかけは何ですか?

高校生の頃、レヴィ=ストロースの『野生の思考』という本を読んで、私たちを成り立たせるシンボリックな構造みたいなものに知的関心が湧き起こり、人類学をやりたいなと思うようになりました。当時、レヴィ=ストロースたちの「構造主義」、「記号論」と呼ばれる思想的運動が強い影響力を持っていて、日本では、小説家の大江健三郎さんや文化人類学者の山口昌男さんたちが、そうした運動を刺激的に展開していたんです。それは、演劇にも影響を与えていて、野田秀樹さんの戯曲に色濃く表れていました。野田さんの戯曲は、一旦秩序が混乱状態に陥るんだけど、そこからまた新しい秩序が生まれてくるという「中心と周縁」の構造主義的構図を常に持っていました。その演劇空間に惹かれて、駒場小劇場で上演されていた野田さんの演劇もよく観に行っていたんです。

構造主義や記号論は、象徴的なものがいかに社会の中に組み込まれていて力を発揮しているかということを明らかにしたと思います。例えば、今の消費文化はモノを機能で価値づけるのではなくて、それが発する意味で購買するわけですよね。私が身につけている時計でも、キムタクがつけているとそれだけで意味が出てくるわけじゃないですか。(笑)私たちの人間社会っていうのは、意味論上の差異を駆使して文化的実践が展開されています。こうした視点が、人類学を中心に、力強く展開されたのが、ちょうど私が高校生の頃、80年代だったんだと思います。またそれは、大きな物語とか一種の普遍的な真理への欲求というものが、いわゆるポストモダニズム、ポスト構造主義によって挑戦を受けながらも、まだ信じられた時代だったようにも思います。振り返ると、私は何か確固たるものが欲しかった気がするんです。人間の認知とは何かとか、文化の働きとは何かとか。

しかし、今にして思うと、人間の概念って玉ねぎのようなものじゃないかと感じるんですね。玉ねぎって何だろうって思って皮を剥く、剥けたら中に何かあるんじゃないかってまた剥いていくんだけれども、結局は何も残らない。それじゃあ玉ねぎは何かって言うと、その層から成り立っている全部が玉ねぎの概念なわけで、私たちはある意味、言葉によってその層を作っている部分があると思うんですね。人間にはものすごく多くの層があるから、それぞれの人がどの層のどの部分を捉えようとしているかで人間の見え方は違います。私は、そういうふうにして捉えられた人間が組み込まれている社会を見ていて、私が現在研究対象として見ている情報社会という層は、10年から半世紀くらいで変化していくものだと考えています。一方、人類学には巨大な玉ねぎを対象にした1000年単位、10万年単位くらいで変化していくものを追い求めるところもあると思う。それは、巨大な玉ねぎのどこをどう取るかで違うし、また文化や社会を研究する観点から見ると、予想以上に人間というのはダイナミックに動いていることがわかってきています。